tamasen 校長ブログ

2015年09月の記事

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2015年9月16日(水)

栃ノ木(トチノキ)と かんぴょう

今回は栃木の風物を書きたい。

栃木と言えば、トチノキである。栃木県ではトチノキが自生しているが、街路樹としても多く植えられている。自治医大の校内にも多くが植えられており、10m以上の大木になる。3階にあった私の研究室からも見えた。葉は天狗のうちわのごとく5小葉(掌状複葉)であり、大きく、夏には50cmまでなる。冬に落葉し、春に芽吹く。新しい小さく柔らかな緑色の葉が大きくなってくる春には、木に緑色の子供用手袋をたくさん引っ掛けたように見えて、微笑ましい。やがて、夏には花が咲く。写真にあるが、祭りの三番叟鈴のように多数の白花が層状に穂状に連なっており、花穂全体は大きい。木全体では多数の太い蝋燭を掲げたようである。夏の日差しに白が映えて、涼しさを感じる(写真1)。


この花から取れた蜂蜜が市販されているが、独特のアクを感じる風合いがあり、美味しい。秋になると実をつける。外皮の中に1−2個の実が入っているが、大きいものでは直径が3cm以上にもなる(写真2右)。


この実は乾燥しても割れないので、掌内で2−3個を回すと良い手の運動になる。実そのものは食用になるとのことであるが、アクが強いので水さらしなどアク抜きは大変と聞いている。今でも、栃の実せんべいや栃餅は市販されているが、含有率はさほど高くないと聞いている。トチノキが美しいのは初夏の花季までであり、秋以降のトチノキは少々厄介者である。葉は夏の暑さで褐色を帯びて、美しくはない。冬に落葉した葉は路上を覆い、大きいこともあって、集めて処理するのが手間である。

このトチノキの近縁種は世界に分布している。欧州にも分布しており、英語ではhorse chestnutとなっているが、英国で聞いてみると皆がchestnutと言う。Chestnutは食べる方では(栗では)と聞くと、間違えないので同じ名前で問題ないと言われた。かなり、大雑把な感じである。フランスではマロニエである。このため、栃木県ではマロニエ○○○との名称が多く使用されている。フランス語でマロンとの言葉はもともとマロニエの実の意味であり、大昔は語彙の通りにマロニエの実でマロングラッセを作っていたとのことである。アク・シブ抜きに大変だったろうと想像する。現在は、栗で作るが名前はマロングラッセと呼ぶそうである。本来、フランス語で栗はシャテーニュで栗の木はシャテニイエとのことであるが、今では栗をマロンと呼ぶことも多いとか。動植物の名前はどこの国でも難しい。ブリとハマチの名前の相違を欧米人に説明するのに大変苦労したことがある。

さて、日本にも西洋トチノキは植樹されているが、赤花の木が多い。しかし、欧州を訪問すると赤花種もあるものの、多くは白花であった。この西洋腫は外皮に、日本種と違って、痛くない小さなとげ状の突起がある。また、実は少し小さく、ヘタの部分が小さい(写真2左)。

米国にも分布しており、多くの人はchestnutと言う。しかし、この木の多いオハイオ州ではバッカイ(buckeye)と呼ばれており、州のシンボルである。私はオハイオ州立大学で1年間を過ごしたが、オハイオ州立大学のアメリカンフットボールチームの名はバッカイズであり、熱狂的ファンが多いことには驚いた。今でも懐かしく思い出す。

少しブログが長くはなるが、次にかんぴょう(干瓢)のことを書く。自治医大周辺の栃木県南部は、日本での、かんぴょうの8割以上を生産する。宇都宮線(東北本線)で自治医大近辺を通ると、夏から秋にかけて、丸くてスイカ程度の大きさの実がごろごろところがっているのが見える。つる性の植物が畑地に広がっており、うりの類とは想像できるが、実は大きく薄緑色であり表面にスイカ模様はない。多くの旅行者が不思議がる。これが瓢(ふくべ)であり、これから「かんぴょう」ができる。

瓢(ふくべ)はウリ科ユウガオであり、ヒョウタンとほぼ同じ種らしい。春に関東ローム層の黒土の畑地に藁をしいて植える。植えた場所にネギを植えることが多い。植えた場所を明確にして、水やりや最後の刈り取りを容易にするものと聞いたが、どうも人により意見が違うので、確実ではない。夏にウリ科の白い花が咲き、上述の実となる(写真3)。


適当な大きさになると、栽培農家では実を収穫し、家に集める。山積みになった実は壮観ではあるが、美味しそうな感じはしない(写真4)。
img src="/cgi-bin/p_blog/files/201509161655_4.jpg" alt="">
この実の上下を器具に固定し、電動で回転させながら、皮を薄く削って捨てる。その後に、さらに回転させながら、数センチの同幅に薄く削る(写真5)。
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数センチの幅の薄く長い紐ができる。これを集めて、棹に数日干すとかんぴょうとなる。農家の多くは、雨を考えて、ビニールハウスに干している(写真6)。


初めてビニールハウスに長細いものが多量に整列して干してあるのを見た時には、何か全く分からなかった。小豆島のそうめん干しを連想したが、当たらずも遠からずと言えるであろうか。削るときに芯の部分は残すので、独楽を上下さかさまに合したようなものが残る(写真7)。


これを畑の周辺に捨てることが多い。放置されると、発酵・腐敗して甘みのある悪臭を出すので評判が悪い。ここで、栃木のかんぴょうの宣伝をしたい。日本で販売されているかんぴょうはほとんどが輸入であり、防カビ・変色防止に亜硫酸ガス処理がしてある(漂白処理)。栃木のかんぴょうは無漂白がほとんどであり、漂白ものに比べて、煮た時に柔らかくみずみずしい。多くの人は、かんぴょうと言えば、かんぴょう巻きや煮物を結んで食べるとの認識しかないとは思うが、煮物にしても、味噌汁の具にしても、サラダにしてもおいしいものである。食物繊維そのものであり、この意味でも優れている。なお、ヒョウタンと同様に、ふくべの外皮を乾燥させて、細工物にしたものが市販されている。

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2015年9月1日(火)

着任の挨拶

玉野総合医療専門学校(タマセン)校長の平井義一です。本年の4月に前任の高井研一校長から引き継いで着任しました。ブログの更新が遅れ申し訳ございません。

まず自己紹介から始めます。私は岡山生まれ、岡山育ちで、岡山大学医学部を卒業しました。その後、タマセンの初代校長となった金政泰弘教授の主催する細菌学教室の大学院生となり、そのまま居座って助手にしてもらい、細菌学と院内感染制御の研究をしていました。40歳過ぎまでは、米国オハイオ州立大学に留学した1年間以外は、岡山で暮らしておりました。仕事場が箱根の関所を越えるとは思ってもみなかったのですが、縁があって47歳の時、栃木県にある自治医科大学(自治医大)に呼んでいただきました。以来、感染・免疫学講座細菌学部門の教授を18年間勤め、途中から附属病院臨床感染症センターのセンター長を兼ねて勤めてきました。定年退職となり、タマセンのお話をいただき、本年4月に着任しました。

岡山県はもちろん生まれ故郷です。栃木県は18年間を過ごしてみますと第2の故郷との感じがします。栃木で私の勤務していた自治医大は、毎年に各都道府県に、ほぼ同数の卒業生を送り出していますが、状況をご存知の方は少ないように感じています。また、関東の人は中国地方のことをあまり知らず、中国地方の人は関東のこと、特に北関東のことをあまり知っていません。ですので、まず自治医大とその周辺のことを紹介します。

自治医大は栃木県の下野市(しもつけ市)にあり、宇都宮市(県中央部・県庁所在地)と小山市(南部)の間でJR宇都宮線(東北本線)沿いに位置しています。JR自治医大駅から歩いて10分程度で大学に到着します。広い敷地の中に、医学部・看護学部・附属病院(1132床)があります(写真A)(埼玉県のさいたま市(旧:大宮)にも別の病院があります)。


現在は、東京までJRで1時間少々のこともあり、栃木県で人気の住宅地となっていますが、設立当時は田畑の中にポツンとあったそうです(写真B;設立から10年程度の時期?)。関東平野は広く、自治医大周辺の空は広いです。遠く西北には日光のある男体山が見え、東方に筑波山がポツンと見えます。田畑が広がる場所では、平地から富士山が遠望できるのは驚きです。


これに対して、玉野総合医療専門学校(タマセン)は宇野港近くにあります(写真C)。


山がすぐ近くにありますが、敷地は広く、空は明るいです。5分ほど歩くと海であり、多島海である瀬戸内海がゆったりと見え、なにやら“ほっと”致します。車で少し走ると瀬戸大橋が見えます(写真D・E)。魚は豊富です。不動産の宣伝文句風に言うとタマセンは「海の近く、明るい陽射し。広い校舎、体育館・運動場あり。周辺に海釣り場豊富。」なのでしょうか。



自治医大の話に戻ります。自治医大は昭和47年に設立され、全国の都道府県が共同で設立した学校法人によって運営されています。従って、私立大学であり、理事には県知事の方が何名かおられます。
特徴的なのは学生の選抜方法と卒業後の就業状況です。入学学生は都道府県から均等に選抜されます。定員は123名(2015年現在・栃木県地域枠3名を含む)ですので、岡山県からは2−3名(年度で異なる)となります。同級生に必ず全国各地の出身者がいるのは大変楽しいことと思います。
私は岡山生まれで岡山育ちですので、純粋な岡山弁をしゃべります。今は、少し関東のイントネーションが入ってきたと言われますが。講義や雑談で、私の話した言葉が理解できないと、岡山出身の学生が通訳してくれます。ただし、岡山出身といっても岡山市のみでなく津山や高梁の出身もいますので、通訳は完全ではありませんが。学生は「おえん」「おらん」「----じゃ」に困ったようです。
さて、入学すると学内にある寮に入ります。寮以外に住むことも可能ですが、寮費は安く、卒業まで寮にいる学生がほとんどです。自治医大の学生教育に対する熱意は高く、国立大学医学部の10倍は、時間・費用をかけており、システム化も進んでいます。特に、地域医療の理解・実践のために様々な対応をしています。この努力により、医師国家試験の合格率はほぼ毎年トップであり、合格しない学生は0か1人程度です。これらの教育システムや教育への考え方は、現在の玉野総合医療専門学校での私の教育方針の根幹をなしています。

学生は6年間で卒業します(留年しなければ)。卒業すると各出身の都道府県に戻って、2年間の初期研修を行います。その後、都道府県と連携して地域医療に従事します。どこの都道府県でも勤務地は医師・医療機関の少ない地域や過疎地になります。なかなか大変ですが、自治医大のモットーは「医療の谷間に灯をともす」です。皆さん頑張っておられます。私も頭が下がる思いです。「卒業生の活躍がその大学の評価である」ことはどこの学校も変わりません。最終的に、学生期間の1.5倍、通常は9年間を都道府県と連携して勤務すると大学の学費の支払いが免除されます。自治医大生は親孝行です。
岡山県では岡山済生会病院、岡山日本赤十字病院、津山中央病院のどこかで初期研修を行います。そして、県職員として岡山県の北部・中部を中心に勤務しています。皆さん実直に地道に勤務・研修しておられます。9年間勤務以降は基本的に自由ですが、多くの方が地域医療を継続しておられます。もちろん、自治医大に戻って後輩の教育に従事されている方もおられます。
このブログを読んでいただいた方々が、自治医大出身医師に出会われたら、この文章を思い出して、お話をしてください。

長くなりましたので、この辺で初回のブログは終わりにします。次は栃木の風物を書こうと思っています。

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