tamasen 校長ブログ

2018年04月の記事

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2018年4月20日(金)

卒業と入学

今は4月中旬。

新入生の行事が一通り終わり、ほっとしているところである。
我々教員の年明けは、卒業学年の学生を国家試験への最後の勉学に集中させるために叱咤激励することに始まる。国家試験の受験を済ませると一息吐く。
そして、国家試験の合否発表の前、3月10日に卒業式を行い、4月4日に入学式を行う。毎年のことではあるが、感慨深い時節である。


まず、卒業式。
タマセンに来て驚いたのは、校長は卒業式・入学式にモーニングを着用することである。実に窮屈である。校長就任以前にモーニングを着用したのは、息子の結婚式であり、その時も窮屈と思った。
それはともかく、卒業式は整然と厳粛に執り行われる。演台の前に卒業生、後方に在学生(卒業前学年)、その後方に保護者方、そして左右に学園関係者・来賓の方々が整列する配置となっている。卒業式の写真を示す(@A)。@は私が式辞を述べているところであり、Aは式開始直前のものである。後方から写すと来賓方や在校生はスーツ姿であり、全体にモノトーンに見える。ただし、卒業生の女性群は華やかである。ほとんど全員が袴セット(小振袖・袴)である。





写真Bは卒業生が代表挨拶時に在校生・保護者に向かって立っている場面であり、写真Cは集合写真撮影時のものである。一方で、卒業生男性陣はスーツ姿でおおむねモノトーンである。男女で色彩は異なるが、卒業生、皆、良い顔をしている。決して平坦ではなかったであろう4年間(介護は2年間)の学業・実習を乗り越え、ここまで到達したのである。前を向き、先を見つめている。毅然としているが、穏やかで笑みのある表情である。





卒業式の夕刻にはホテルで謝恩会が開かれる。女性陣はドレスに着かえる。男性陣はスーツであるが、ネクタイの色を派手にする、蝶ネクタイにするなど、少しきどる。その場の写真がないので、集合写真の一部拡大を載せる。写真Dは保健看護学科であり、写真Eは理学・作業療法学科である。謝恩会では、学生は楽しんでいるものの、一定の礼儀をわきまえており、好ましい。





この卒業式・謝恩会の一日は、学生や保護者のみならず、教職員にとっても楽しい日である。卒業まで、素直に進級できる学生ばかりでなく、𠮟咤激励などが必要な学生もいる。卒業生は、卒業に辿り着いたのである。あとは、社会での新たな門出を祝うばかり。直接に指導してきた教員には特別な日である。この一日を通して、いい意味で、「少し弾けてこそ本来に戻れる」と思う。


卒業式を終え4月に月が改まると、入学式である。入学式も、もちろん、整然と厳粛に執り行われる。校長はモーニング着用である。
入学生は皆スーツ姿である。教職員や来賓は当然ながら礼服かスーツであり、全体に全くのモノトーン。写真Fは入学生代表が挨拶を述べているところであり、写真Gは入学生代表挨拶時に起立している学生である。





緊張しており、不安そうな表情も見受けられる。入学式を済ますと、新入生には学校説明などのプログラムが数日間組まれている。プログラムの最後は新入生研修会である。本年の新入生研修会は4月14日に玉野スポーツセンターで行われた。広く、野外活動に便利である。今年は、桜はほぼ散っていたが、玉野特有の岩山の肌には紫を帯びた赤色の山ツツジが点々と映え、すがすがしい(写真H)。




研修会は一日コースである。各学科の新入生がバラバラの組み合わせでチームを作り、教職員も混じる。私のチームは保健看護2名、作業療法1名、介護療法1名、教員2名の計6名である。午前中は各チームで飯盒炊事・カレー作りである(写真I)。
木陰の場所での食事場面が写真Jであり、年寄り男性で比較すれば太っていないのが私(笑)。





午後からは、体育館でチーム対抗のゲームであった。この時に、新入生たちに「本校での目標は?」と尋ねると、「資格を取ること」と言う。本校は医療系専門学校であり、すべての学科で国家試験を受ける。前述した卒業式(国家試験合格)が基本的な目標である。新入生は、卒業生と比べると、むろん若い。キャピキャピである。少々幼いが、当然である。皆、気性は良く、楽しい。少し前の卒業式での卒業生の学識と立ち振る舞いに、やがては到達することが必須である。努力し素直に育って欲しいと思うと共に、責任を感じる。それはそれで楽しい春の一日である。


卒業と入学は毎年繰り返される。当然である。卒業・入学の学生は年々異なる。先生方も年々に少しずつ変わっていく。先生方は一様に年齢を重ね、時に入れ替わる。私は校長職4年目である。

劉廷芝の高名な漢詩「代悲白頭翁」の中に「年年歳歳、花相似たり」、「歳歳年年、人同じからず」との有名な句がある。毎年、樹(桃李)は同じように花を咲かせるが、それを見る人は毎年に異なるとの意味とされる。その通りである。ただ、花は同じとは言っていない。同じ漢詩の中に「更に聞く 桑田の変じて海と成るを」との句もある。恐らくは、すべてのものは移り変わるがその時間軸は異なるとの認識であろう。毎年に行事は繰り返されるが、立ち会う人の様態によって、時間の流れは異なる。学生と教師もそうである。ただ、違う時間軸が交差し、同じ時を過ごす時には、そこに立ち会う人すべてが納得できるように各が努力をすべきであろう。学生が学業に努力し、教師が教授・対応に努力し、最後に「よき旅路を」と送り出す。後年に、良き時を過ごせたと思えたなら、それが最良であろう。

季節の移り変わる春の感慨。

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