tamasen 校長ブログ

<< 前のページ

2017年9月8日(金)

海外旅行と感染(輸入感染症)[高熱]

 この稿を記述している9月初めには、少しく暑さが和らいできた。ホッとしつつ、全身のだるさを感じている。夏バテである。本年も岡山は暑かったのである。
 最近、海外旅行での感染について話をしたり、問い合わせを受けたりした。夏休みには海外旅行での感染(輸入感染)が多い。少し時期遅れの感はあるが、輸入感染は夏のみではなく一年中起こるので、いくつかの代表的なものを概述することとした。
 すべては書けないので、高熱を取り上げる。インフルエンザも高熱が出るが、呼吸器症状を伴う。ここでは高熱を主症状とする疾患の代表を記載する。

 海外旅行、特に熱帯・亜熱帯地方、から帰って高熱が出る感染症がいくつかある。最も多いのはデング熱(Dengue fever)である。デング熱は東南アジアを主として世界中の熱帯・亜熱帯地方で流行している。日本での輸入感染例は確定したもので年間に200例以上であり、2016年は350例近くであった。感染例は多いのである。夏季に多いものの冬季にもかなり発生例がある。
原因はデングウイルスであり、これを保有する蚊に刺されて感染する。おおむね、刺咬後3−7日で発症する。突然の発熱、通常は高熱、で始まる。関節痛が強いのが特徴である。ある患者さんに聞くと、「骨の髄が痛い。背骨が痛い。動くと余計痛いが、じっとしていられない。」と言った。もちろん、痛みの程度や感じ方は様々である。デング熱の語源はダンディを意味するスペイン語のデングエロからとされている。日本のテングとは関係ない。患者は全身が痛いために背骨をまっすぐにしてゆっくり歩くので、ダンディに見えたとの事である。発熱は数日から1週間で解熱するが、解熱時に発疹がでることが多い。また、血液の血小板が一過性に減少する(皮膚に出血斑・紫斑ができやすくなる)。高熱が主体のため、症状からの診断は困難で、血液からのウイルス遺伝子の検出や抗体価の測定が必要である。通常は重症化が少ない。ただし、デングウイルスには4つの型(血清型)がある。別の型に感染すると(すなわち、2回目の感染)、重症化し、大幅に血小板が減少して、出血傾向が出ることがある。これをデング出血熱と言って、死亡することもある。今のところ日本人での死亡例はない。

 このデング熱を媒介する蚊はネッタイシマカおよびヒトスジシマカである。ネッタイシマカは空港周辺で見つけられることはあるが、日本に棲息はしていない。ヒトスジシマカは日本に棲息する代表的な蚊である。黒っぽく、足が白黒のマダラ模様である。従って、海外で感染したヒトの血をヒトスジシマカが吸血して、別のヒトを吸血すると、デング熱を発症する危険がある。実際に、2014年の夏には東京都心を中心に162名の国内感染患者(海外感染ではない)が出た。かつて、1942年から1945年には西日本で20万人の患者が出ている。今後も、国内発生は十分に考えられる。残念ながら、ワクチン(予防接種)はなく、特効薬もない。
 なお、デング熱と症状がそっくりな疾患にチクングンヤ熱がある。元来はインド洋の諸島地域で流行していたが、現在は世界中の熱帯・亜熱帯地方に広がっている。媒介蚊はデング熱と同じである。デング熱より少ないが、海外で感染した日本人患者は認められる。

 高熱の出る別の海外感染疾患にマラリアがある。熱帯地域に広く分布している。病原体は原虫である。マラリアには5種類あり、熱帯熱・三日熱・四日熱・卵型マラリアと近年にヒト感染が判明したサルマラリアである。原虫が赤血球で発育し、定期的に赤血球を破壊して発熱する。三日熱では48時間毎に、四日熱では72時間毎に発熱する。ただし、熱帯熱マラリアでは周期性は薄い。最も重症であるのは熱帯熱マラリアである(サルマラリアも重症化する)。脳マラリア、肺水腫、出血傾向、腎障害などで死亡する例があり、脳マラリアになると突然死もある。日本での海外感染例は年間50例程度であるが、重症の熱帯熱マラリアが約半数を占める。診断が遅れることが多い。デング熱ではやがて治癒していくが、マラリアでは慢性化・重症化する。マラリアに効く薬はあるが、薬を使用可能な病院は全国でも少ない。できるだけ早く診断して、薬を使用可能な病院に患者を搬送する必要がある。





 ある患者さんの血液像(ギムザ染色をしてある)(写真)を示す。若い女性であり、正月休みにアフリカに行き、サファリで野生動物見学をした。帰国して発熱し、近くの開業医を訪れて、アフリカ旅行の話もしたが、インフルエンザでしょうと言われたとのこと。しばらくして、皮膚に出血斑・紫斑がでて、行動不能となって、救急車で運ばれてきた。熱帯病を疑って、血液の染色標本を作製し、寄生虫学で見てもらったのがこの写真である。私にもマラリアとは分かるが、何マラリアかは判然としない。専門家は即座に熱帯熱マラリアと診断した。このマラリア原虫は赤血球や肝臓に寄生し、様々な形態を持つ。写真では、少し黒っぽく円盤状のものが赤血球である。よく見ると、赤血球の中に紫色のリング状(指輪状)のものが見える。これが赤血球に寄生したマラリア原虫で、形からリングフォームと呼ばれている。このマラリア原虫が成熟して赤血球から出ていくときに、赤血球が壊れて、熱が出る。また、赤血球が壊れると、血液中の血小板がくっついて行く。これが多く起こると、血液中の血小板が消費されて少なり、出血しやすくなる。皮膚に出血斑・紫斑がでる。また、腎臓障害も起こる。こうなると重症である。この患者さんは1か月以上入院した。回復して、我々もホッとしたのである。なお、このような赤血球の破壊(溶血)と引き続く血小板減少は腸管出血性大腸菌(代表O-157)感染でも起きる。細菌の出す毒素が血液に入り、起こる。溶血性尿毒症症候群(HUS)と呼ばれ、やはり重症である。

 マラリアもワクチン(予防接種)はないが、効果のある薬はある。蚊で媒介されるが、デング熱と異なり、ハマダラカ(Anopheles属)が媒介する。現在の日本では、土着の(国内で発生する)マラリアはない。しかし、昔はかなりの患者が発生していた。平清盛が高熱で亡くなったと記録が残っているが、症状からマラリアと想定されている。また、明治から昭和初期にかけて三日熱マラリアが流行した。現在はハマダラカの減少もあり、日本での国内感染発症はない。

 今回記載したデング熱、チクングンヤ熱、マラリアは蚊で媒介される。病原体を保有している(血液中に存在する)ヒト(もしくは保有することのできる動物)を蚊が吸血し、別のヒトを吸血するときに病原体が体内に侵入して感染する。直接に感染することはない(輸血は別)。蚊の媒介する感染症は、他にも、ジカ熱、ウエストナイル熱、フィラリア症、日本脳炎、黄熱がある。熱帯・亜熱帯を中心に、旅行するときには蚊に刺されないように注意が必要である。前述したように、これらの感染は夏ばかりではない。蚊よけの薬剤は必須である。できれば、長袖・長ズボンで皮膚の露出を避ける。長袖・長ズボンでも、首筋・手足は蚊よけ薬を使用することが望ましい。上記の疾患でワクチンがあるのは日本脳炎、黄熱のみである。ただし、ウエストナイル熱は、最初はウガンダで検出された熱帯病であったが、熱帯ではない世界各国で発生している。特に北アメリカでは大規模な流行となっている(現在は少し落ち着いているが)。

 なお、媒介する蚊の種類によって、感染場所・時刻が異なる。デング熱を媒介するネッタイシマカ・ヒトスジシマカはタイヤや空き缶などのたまり水で発生できる。都市部で多く感染が起こる。また、昼でも吸血する。従って、観光旅行で容易に感染し、日本でも2次感染(日本での蚊を介した感染)が起こりやすい。マラリアを媒介するハマダラカは水田や渓流の淀みなどの清い水を好む。また、吸血行動は夜である。したがって、都市部の感染は比較的に少ない。アフリカでの野生動物見学(サファリ)、特にナイトサファリは感染機会が多いであろう。この状況と日本でのハマダラカ減少とを考えるとマラリアの日本での2次感染の可能性は低いと思う。

 皆さんには、東南アジアなどの熱帯・亜熱帯地方を訪れるときには、蚊に注意してほしい。蚊除け(虫よけ)の成分としてはディート(deet)、イカリジン、ピトレイン、トランスフルトリンなど多種がある。ディートが最も有名であるが、幼小児には注意が必要とされる。ついでは、イカリジンでディートより皮膚刺激性が低いとされている。現在、日本ではディートは30%まで、イカリジンは15%まで含有した製品が市販されている。私は、旅行時にはプッシュ式(スプレーではなく)の蚊除け薬の皮膚用と室内噴霧用を携行する。ディートを含有するものを使用している。蚊除け(虫よけ)は日本では季節商品であり、夏季以外では薬店にないことが多い。ただし、インターネットでは手に入る。なお、私は蚊除け(虫よけ)薬剤の専門家ではない。聞きかじりの知識であることをお断りしておく。

written by principal [この記事のURL]

2017年4月28日(金)

ベトナム訪問紀行

 春の大型連休前の4月中旬にベトナムを訪問した。介護福祉士が在留資格となったため、介護福祉士を目指して留学する学生の状況調査に訪れたのである。介護(看護)学校や日本語学校の関係者と話すことに多くの時間を費やし、観光する時間は当然ながら少なかったが、このブログでベトナムでの風物や食について記述する。

 加計学園の関係者と共に、総勢4名で関西国際空港をからホーチミンへ向けて飛び立った。約5時間の空路である。午前に出発し、偶然に窓際の席であったので、夢とうつつを行き来しながら、時折外を見ていた。ふと目に留まったのが島である(写真1)。沖縄西端の小島であろう。見事なサンゴの環礁が見えた。到着直前になると河が見える。おそらくホーチミン市の近郊であろう。大陸の大河らしく、濁った水がゆったりと流れており、流れには停泊もしくは運航している船が多数ある(写真2)。中州の島には田畑が見える。高度が下がると、田畑がくっきりと見えた。様々なものを栽培しているようであり、区画は日本に比べると大きい(写真3)。航空機から動き流れていく風景を見るのは楽しい。旅行の始まりの高揚感を感じる。








 ホーチミンのタン・ソン・ニャット国際空港に到着し、現地の会合を設定し、ガイド・通訳をしてくれるダン氏と合流した。彼はベトナム生まれでベトナム語・日本語・英語がペラペラである。これ以降、ダン氏と加計学園国際局の英語堪能女性が行動を決め、我々は会合で談合は行うものの、食事や行動予定は言われるままであった。完全なお仕着せ旅行である。

 ところで、空港ビルを出るとムッとした暑さである。4月は乾季の終わり頃であり、温度は日中では35℃になるが比較的に湿度は低いと聞いており、実際にそうであった。体感的には湿度は高く感じたものの、暑さはさほどとは思わなかった。しかし、しばらく外気の中で過ごすと、薄い真綿でくるまれたごとく、じっとりと汗がでてくる。すぐにはしんどいとの感覚はないものの、全身を絞められるようなだるさを感じる。

 そこで、思い出したのである。20年ほど昔の7月にタイを訪問した。外はすごく暑かったのである。ただし、ほとんどの時間はホテルでのセミナーをしていたので快適であった。1週間ほど滞在し、英語での討論に苦労したことを思い出す。国の正式なセミナーであったので、スーツ・ネクタイでセミナーを行った。セミナーの休憩日に、セミナー参加者と一緒に、近くのスコータイの遺跡(仏教)を見学した(写真4・5)。すごく暑かったのである。その時も乾季と聞いており、雨は降らなかったが、湿度は高く、蒸し暑かったのである。見ごたえのある遺跡であり、最初はすごく楽しかった。しかし、15分歩くと汗がダラダラであり、動くとフワーと宙に浮く感じがして足がもつれた。タイ人の参加者ですら暑いと言い、木陰で休みながら散策していた。半袖シャツ姿で観光していたのであるが、1時間弱でホテルに逃げ帰ったのである。この時が私の最も暑く苦しい経験である。ただし、気温が高い経験では、中国の新疆ウイグル砂漠やアフリカ・スーダン砂漠での体験がある。気温は40℃を越えても、砂漠は湿度が低く、さほどしんどくはない。もちろん太陽の下にしばらくいるクラクラとはするが、木陰ではさほど暑さを感じない。私は砂漠が好きである。次回のブログでは私の訪れた砂漠の話を書こうと思っている。






 話がそれたのであるが、そのついでに写真を載せる(写真6)。オート三輪車である。今のタイでは見ないそうであるが、20年前には相乗りタクシーとして普通に走っていた。ハンドルは円形ではなく、オートバイ様である。このオート三輪車は私の子供のころには日本でも走っていた。曲がるときの安定が悪く、横倒しになっているのを時折見た。乗せてもらったことがあるが、怖かったことを思い出す。懐かしい。




 さて、話をベトナムに戻そう。多くのベトナム人、日本人(ベトナム在住)と話をした。ベトナム人は親日的であり、丁重で紳士的であった。仕事の話は記述しないが、我々も真摯に対応することが求められると感じている。

 我々が訪れたのはホーチミン(南部:旧サイゴン)とダナン(中部)である。ホーチミン市は大都会である。高層ビルや大通りもあるが、小商店や狭い路地も錯綜している(写真7:ホテルから眺めたホーチミン市)。熱気を感じる街である。例えれば、高度成長期の大阪の雰囲気であろうか。ただし、人はあまり歩いてはいない。ベトナムの人も歩くと暑いのであろう。その代り、バイクがすごい(写真8)。信号で止まった時に良く見ると、立派なバイクである(写真9)。皆ヘルメットをかぶり、ほとんどがマスクをしている。それほど大気汚染がひどいとは思わなかったが、多数のバイクの中だと、排気ガスがひどいのであろうか。このバイク軍団が、走っている車の脇をすり抜け、前に回り込む。平気で信号無視をする。大混戦である。車も小刻みにハンドルを切り、ブレーキを繰り返しながら走る。良く事故が起こらないものである。走っている車も、バイクもキレイなのである。








一方、ダナンは海沿いのリゾート地である。綺麗な砂浜が長く伸び、海水は透明度が高い。砂浜にはヤシの葉で葺かれたパラソルが並ぶ(写真10)。海岸から見ると、多くのビルが建築中であり、ここでも熱気を感じる(写真11)ただし、我々は早朝に海岸を散策したのみである。ダナンの街はホーチミンより静かであった(写真12)。このダナンで半日予定が空いたので、近くの観光地であるホイアンを訪ねた。古い港町であり、川沿いに古い街並みが残っていた(写真13)。家はほとんど土産物屋である。ベトナムの伝統衣装であるアオザイの店も多く見かけた。欧米人を中心に観光客が多いが、花の咲いた樹木が多く、ゆったりとした感じであった(写真15)。写真14では土産物屋の隣で老婆が露天で食べ物を売っていた。ゆったりとした長袖・ズボンスタイルで、頭にはベトナム古来の帽子をかぶっている。木の葉(ラタニアの葉?)で作ったものでノンラーと呼ぶ。観光客も多く買っていた。またホイアンはランタンが有名であり、町の一角では様々な色彩のランタンを売っていた。上品で美しいものもあり、値段は高くなかったが、持ち帰るには少し大きいため、購入は断念した。














 ホイアンとの行き来に、水田が見えた(写真16)。直播であろう。稲が密生して育っていた。後で聞くと年に2−3回収穫できるとのことである。




米は食事で米飯、おかゆ、チャーハンで食べた。小粒の長米であり、日本米より粘りは少なく、チャーハンで食べるのがおいしい。米の話が出たので、ベトナムの食事について記述する。まず、朝食は、ホテルのバイキングである。ホテルは2か所に宿泊したが、双方ともフォーを作ってくれた。少量であり、あっさりして美味しい。私は、朝はフォー、少量チャーハン、少量ハム・チーズ、多量サラダ、最後にフルーツ盛り合わせである。写真17はフォー(牛肉入り)である。写真18は同行者の最初の一皿であり、チャーハンが見える。食事皿のスプーン側にある小角皿に赤小片入りオレンジ色の液体が見える。日本のベトナム料理店で出てくる生春巻きのソースである。日本のものより少しチリ(とうがらし)味が強いが、うす甘く美味しい。どこの店でも、どんな料理でもこのソースが出てくる。美味しく便利なものである。写真19はフルーツであり、この写真にあるドラゴンフルーツとパッションフルーツが特に美味であった。昼は会合の途中で、様々なところで食べる。朝食はホテルで、夕食はレストランであり、基本的に冷房が効いているため、快適である。しかし、昼食は町の食堂であり、おおむね扇風機ていどである。食事は美味しいが、じっとりじわじわと疲れる。ある日の昼食が写真20である。チキンのぶつ切りに見えるが、実態はアヒルである。恐らく蒸し焼きであろう。脂があり、大変おいしい。食べていると、バンバンと叩くような大きな音がする。見ると、店先に丸裸アヒルが吊るされており(写真21)、これをぶつ切りにする音が響いて聞こえる。なるほどと思う。私には食欲をそそる風景である。移動の時に車からみると、同様の店を何度も見た。夕食はレストランである。連れていかれるのみで場所はさっぱり分からないのであるが。夕食ではとりあえずビールである。ビールを注文すると、333ビールが出てくる(写真22)。ベトナム語で、バババとかババとか呼ぶ。あっさりとして美味しい。様々な料理をいただいたが、二つ説明しよう。最も美味と思ったのは、ココナッツスープである(写真23)。ココヤシの未熟果を容器にして、液体胚乳を材料にスープにしてある。固形胚乳も加えてあり、うす甘くさっぱりした味付けで、胃の腑にすんなりと納まる。次は、揚げ物である(写真24)。写真では、良くわからないが、脱皮したてのカニに少し粉をはたいて揚げたものである。ソフトシェルクラブである。殻を含めて丸ごと食べられ、食感もよく、美味しい。その他、エビも、クエも、牛も食べたが、話が長くなるので止める。
















 食の話題の最後にスパイスの話を書く。再度、タイの話をして申し訳ないが、タイ食の多くはチリ(トウガラシ)味が強い。前述したタイのセミナーでは昼食はセミナー参加者と食べる。その頃、私はトウガラシ味が少し強くても、強いなと思いながら平気で食べていた。ある日、参加者が「先生、オイシイ」とサラダを勧めてくれた。赤いものは加えられておらず、軽くドレッシングがかけてある。普通に食べた。食べて、一瞬の間をおいて、口の中が痛くなった。ついで、胃が熱くなって、物がつかえる感じがする。胃腸がストライキを起こしたようで、食事は続行不能であった。勧めてくれた人は、悪気はなく、少しスパイシーで美味しいのにと言い、多量に食べていた。これが、グリーンチリ(アオトウガラシ)であった。結局、胃腸ストライキは1日以上続き、これ以降トウガラシ味に弱くなってしまった。タイの料理では、調理の最後にトウガラシ味を加える。Without chili とかnot hotとわめくと、出汁味のみでおいしく食事ができるので、助かったのである。ベトナムは辛くない(トウガラシ味は加えない)と思っていた。生春巻きのソースは日本より辛かったが、私にも美味しく食せた。すべての料理は美味しかったのである。ただ、日本の漬物小皿と同様に、小皿に赤と緑の小片が入ったものが常に出てくる。トウガラシであろう。同行者は少しずつ食べてみて、オッ辛いとか凄いとか言いながら、話が盛り上がっていた。やはり、緑色のものが凄く辛いとのことである。現地で案内してくれたダン氏に聞くと、多量は食べないが、少しずつ食べる人は多いと言う。私は見るのも嫌であるので、写真も撮らなかった。
 最後に土産物の話を記す。買い物は短時間のみのため、プラバッグなど有名な雑貨類は全く購入しなかった。食べ物のみである。ベトナムを訪れる前に、「最近のベトナムチョコレートは美味い、2種買って来い」と言われた。MarouとPhevaである(写真25)。前者はホーチミンのおしゃれな直営店で購入したが、カカオの濃厚な味がして後口はさっぱりとしている(写真25の大長方形)。東京でも手に入るらしい。後者はホーチミンで昨年完成した高島屋デパートで購入したが、様々な味で楽しめる(写真25の小四角)。胡椒味もあった。次は、コーヒーである。日本では最近ベトナムコーヒーの専門店もできているのは知っていた。ベトナムホテルの朝食で飲むコーヒーは普通に美味しい。私はコーヒーを大量に飲む。面白がって、何種類も購入した(写真26)。全体的に焙煎が強い。ペットボトルに豆をいれたものもあり、香りが良く、普通に美味しい(写真26左)。写真26右は最も高価であったが、まだ飲んでいない(日本円では安いが)。日本でも聞く、ハイランズコーヒーは、写真はないが、焙煎が強くてビターな独特の香りが高く、美味であった。最後に、乾燥ナッツである(写真27)。ベトナムでは様々な乾燥ナッツを売っている。美味しいとのこと。市場にハスの実があった。ハスの実は食べられる?と思ったが、手に乗せると軽く、試食すると美味しい。乾燥し焙って、軽く塩味をつけてあるのであろう。カリッとした食感であっさりしたポテトフライの味がする。スープに入れると、柔らかくなり、イモ味が強くなったが、これも美味である。










 今回はかなりいい加減なベトナム紀行を書いた。お許し願いたい。海外に出ると、非日常の開放感があり、楽しい。今回は、仕事の日常と海外の非日常が混沌としており、蒸し暑さのボディーブローもあったのであるが、楽しめた旅であった。同行の諸氏に感謝したい。

written by principal [この記事のURL]

2017年1月11日(水)

寒さ、低温

 今は、2016年の年末である。この文章をupするのは2017年新年となる。毎年であるが、何かと気忙しい年末・年始である。
 タマセンでは既に講義は終わり、冬休みに入っているが、国家試験を受ける卒業(予定)学生が学生ホールなどで勉学している。例年の風景であるが、緊張した雰囲気を感じる。順調に合格して欲しいと思う。遠い昔であるが、自らの国試の時をかすかに思い出す。

 さて、年末・年始のこの時期は寒い。本当に寒いのは1月であるが、昔経験した寒さを思い出したので、寒い体験を書くこととした。

 岡山は、2年前までの18年間居住していた宇都宮近辺に比べると、格段に温かいと感じる。岡山の夏は暑く、2016年は極度に熱く感じた。秋となり少し落ち着き、冬となり寒くはなったが、夏のインパクトが強かったためか、あまり寒いと感じない。学校のある玉野(宇野港近辺)は岡山より暖かく感じる。

 これに対して、宇都宮(栃木)は寒いのである。12月下旬頃から2月にかけては分厚い長コートを着込んでいる人が多い。岡山ではあまり見ない。私も分厚い長コートを持ってはいるが、昨年岡山で着用したのは数日であった。
宇都宮近辺(自治医科大学)での通勤は徒歩20分程度で、途中に公園がある。関東は土壌の上層が火山灰からできた黒ボク土であり、粒子が細かい。このためか、この公園で冬によく霜柱をみた(写真1)。



岡山でも昔は霜柱を良く見たが、最近はほとんど見ない。足で崩すと少年時代を思い出す。宇都宮近辺の霜柱は長い時には10cm近くであり、数層に分かれている。出来た霜柱が日中に溶けず、夜に次の霜柱が重なって層ができるとネットに記載されていたが、???である。また、雪も何回か降る。ほとんど2月であるが。ぼたん雪が多く、積もってもすぐに溶けることが多い。



写真2は栃木で勤務していた自治医科大学の積雪風景であり、この時も案外にあっさり溶けた。しかし、低温が続くと、もちろん積もったままであり、葉を落とした広葉樹(桜)に雪が付着したまま残っているのは美しい(写真3)。



夜の街灯に照らされると、付着し凍り付いた雪は、輝く白いシダの群落である(写真4)。



これは雪の付着であり、樹氷とは言わないと思う。本物の樹氷、蔵王の樹氷、を見に行ったことがある。ガスが出て、見通しは悪かったが、かろうじて樹氷群を見た。ガスが流されて少し明るくなったときに取ったのが写真5・6である。




写真5での樹氷の大きさは3m程度であり、遠景に樹氷群が見える。大きな樹氷の割れ目から針葉樹の枝が飛び出している。触ったり、叩いたりしたが、たいそう硬い。壊れかけている鉄筋コンクリートの塊のように見えて、おかしい。重装備で観光したのであるが、頬は少し痛くなった。全体は見通せなかったが、壮大で、すがすがしい体験であった。樹氷は雲霧の過冷却水滴がトドマツに凍りつき、これに雪なども付着して大きく固くなったものと言う。−5℃以下で成長すると言う。この時の気温は、雪上車の温度表示で、−6℃であったと記憶している。

 私が経験した最も低温環境はUSA留学時である。私はUSAオハイオ州コロンバスのオハイオ州立大学に留学した。ずいぶん昔である。1年間のみであったのと本人の能力のなさで、英語が上手にはならなかったのが残念である。オハイオは広く平たんな大地である。冬には、常ではないが、厳しい寒さとなることも多い。雪は多くないが、積もるとなかなか溶けない。

 冬になって、秘書の女性陣から寒さ対策の注意を受けた。まず、「厳寒の時には手袋と耳あてをして外出すること」である。耳あてをせずに15分以上外出すると凍傷(しもやけ)になり、真っ赤になって痛くなると言われた。実際に、耳あてを忘れて30分歩いて、耳が腫れて一部が壊疽になって、治癒に数か月かかった友人がいる。

 もう一つは、「車のフロントが凍っても、湯をかけてはいけない」とのことである。湯をかけるとすぐに凍って、どうしようもなくなるとのことであった。プラスチック器具で削り取る。宇都宮では、車のフロントが凍っても、温湯ですぐ溶けるのである。さらに、車のドアも凍結して開かないことも度々であり、「殴る・蹴る」で振動を与えて開ける。この厳冬の温度は−10℃程度である。もっと寒くなることがあり、これを現地では「below 0 (零度以下)」と言う。

USAでの温度はファーレンハイト(華氏, Fahrenheit, ℉)で表示される。華氏0度は、日本で使われているセルシウス(摂氏,Celsius,℃)では、−17.8度にあたる。つまり、−20℃近くである。こうなると、大学は休校となり、職員も出勤しなくてよい。私の場合は、ボスから、研究室に来るなと電話があった。地域行政からも外出を控えるようにと言われる。どうしてもの時には車を使用するが、バッテリーが十分な車のみ動かす。このような低温では、バッテリーが消耗しやすく、エンジンが止まると凍死の危険性は高い。
 この低温で撮影したのが写真7・8である。




 空気中の水蒸気が樹木の枝に氷結したものである。幹には付かず、細い枝の全体に氷が張り付く。雪が付着した枝(宇都宮;写真3)に比べると、全周で白く、細かく、固く感じられる。天候の良い厳寒で風のない日に出来る。青空の下で、線描の白い樹が輝き、陽を反射して細かい輝点が瞬く。静謐で壮絶な美しさがある。写真を撮った時は10分程度の外出であったが、露出していた顔はヒリヒリと痛く、室内にもどるとしばらくは顔全体が赤くなって掻痒感が続いた。

 なお、オハイオの冬は氷点下が続き、雪や凍結が多いため、凍結防止剤・融解剤としてやたらと塩をまく。日本での塩化カルシウムではなく、塩化ナトリウムつまり食塩である。精製度は悪い。当然、洗車をマメにしないと、車はさびやすい。車のバンパー・マフラーや床までが錆びてボロボロになる。

 当時私が乗っていた安中古車(結構でかいポンティアック)でも一度マフラーが運転中に脱落して驚いた。修理工場にガラガラと音を立てながら行くと、すぐに付け替えてくれた。しょっちゅうのことと言う。ある学生のボロ車に乗せてもらうと、足をドア枠に乗せろと言う。敷いてある段ボールをとると、助手席の床はほぼ脱落しており、道路が見えていた。USAに車検制度はない。走れば、どんな車でも走って良い。この状況のため、オハイオを含む東部内陸部の中古車価格は安い。中古車販売会社で、最もボロなものは「run or not」と書いてある。

 調べてみると、オハイオ州コロンバスでの最低気温は−30℃程度である。人が居住する地域ではロシア・オイミヤコンでの−71.2℃が最低記録である。最低温度の世界記録は南極ボストーク基地での−89.2℃と言う。ボストーク基地は極にあって、高度も高く、この程度の気温は何度も観測されると記載されていた。南極の昭和基地でも−40℃以下は珍しくないようである。テレビで基地外作業の様子が放映されることがあるが、ゴーグルは着けているものの、頬などの顔は露出しているようである。凍傷や顔面神経麻痺にならないのか不思議と思う。

 一方、日本では、北海道旭川市での−41.0℃が最低記録とされている。富士山頂では−38℃とのこと。北海道の内陸部はさすがに寒い。旭川動物園のホームページでは昼は−2から−10℃程度のようであるが、12月28日の朝9時で−20℃とある。旭川動物園は人気である。私も冬に一度は訪れたいと思っているが、覚悟と用意が必要であろう。

 実験室では冷凍庫の温度は−20℃である。超低温冷凍庫は−80℃であり、細胞や細菌は特殊な液に浸してこれに凍結保存する。ドライアイス(固体二酸化炭素)は−79℃である(−79℃で昇華し、気体になる)。実験室で利用可能な最低温度は液化窒素の−196℃である。液化窒素が手に触れても、瞬間的に気化するので、ピリッと少し痛みを感じるだけである。ただし、しばらく漬けておくと凍傷・組織壊死になって大変なことになる。

 今回のブログに載せた写真はほとんど白であり、色彩がない。冬の風景は茶褐色と緑、もしくは白である。静かで彩はない。この中で、動くのは鳥である。地味な鳥が多いが、目立って煌めくのはカワセミとオシドリである。カワセミは別稿に譲り、今回は渡り鳥であるオシドリの写真を載せる(写真9)。

 写真は栃木県小山市の池で撮影した。栃木でも、オシドリは少ない。この時も一羽のみであった。カモの群れの中で、ひときわ艶やかである。多くの色彩と緻密な陰影とで一際目立つ。温かな思いがする。ただ、目は少しく寂しそうであるが。
 

written by principal [この記事のURL]

2016年10月8日(土)

彼岸花

 岡山では、今年は9月の秋分の日を過ぎた頃でも暑い、しかも雨が多い。テレビを観ていると、岡山のニュースで真庭の川東公園のヒガンバナ群生が見事であると報じていた。これを聞いて、以前住んでいた栃木での群生地を思い出した。近隣の群生地をネットでさがすと児島湖花回廊ゴルフコースでヒガンバナ鑑賞会が開かれているとのことである。休日の日、朝は雨であったが、訪れることとした。

ヒガンバナ(彼岸花)の花は、ご承知のごとく、花の周りに葉はない。黄緑の花茎の上に、空飛ぶ円盤の骨組みを赤い針金で作ったような花が乗っかっている。一輪から数輪の花を遠くから見ると空中に浮遊している水引細工であるが、大きな赤いクモにも見える。やさしい花ではない。英語名はRed spider lily である。自然の植物に適切な形容名をつけない英語にしては珍しく上手と思う。一面に咲いた姿を見ると、地面から緑の針金で浮かして広げた、絡み合った赤い毛糸である。よこの広がりが強調され、印象は強い。この花を見ると秋が来ると思う。小さき時、田の稲穂が首を垂れ始める頃に、畔で咲くのを見ていた。昨日まで気づかなかったある日、突然に赤い花が見え、子供の自分には奇妙で恐ろしく感じたのを覚えている。


写真@は児島湖花回廊ゴルフコースのものである。朝の雨は止み、曇りではあるが、空は明るかった。花が新鮮であり、鮮烈な赤がくっきりと眼に入った。まだつぼみも多い。花とつぼみの群れが区分けされてリズムを作っている。風はほとんどなく、むっとした空気のなかで、赤い風景は動かない。その中で、ふと動く影が見えた。蝶である。揚羽蝶類であった。数匹が花の蜜を吸い、ふわりと舞い上がって次の花に移る。クロアゲハはその黒さで目立つ(写真A)。赤い絨毯の中、それを拒否するように、別次元で移ろっていく。対して、アゲハの黄色は風景に重なり溶け込む(写真B)。


少し、目を離すと分からなくなってしまう。しばらく揚羽蝶が飛ぶヒガンバナの群れを見ながら時を過ごした。秋が来る。秋が早く来て、すがすがしい晴天の空を見たいと思った。
花回廊でのヒガンバナを観ながら、栃木の群落を思い出していた。岡山の北部も同じと思うが、栃木では蕎麦の栽培が盛んである。蕎麦は草であり、その花は白く、小さく、可憐である。ヒガンバナと同じ時期に咲く。共に見ると、大きな赤の塊と薄緑の中の小さな白塊の散らばりが対比されて美しい(写真C)。


さて、植物としてのヒガンバナについて少し記述する。彼岸のころに咲くのでヒガンバナである。曼珠沙華(マンジュシャゲ)とも呼ばれるが、この言葉はサンスクリット語での赤い花に由来するとされている。花が咲く時期に葉はない。花が枯れて、秋深くなると、スイセンに似た、平たく細い葉を茂らす。春には枯れて、花茎が出てくるまでは地上には何もない。地中に小さなタマネギのような鱗茎がある。妙な植物である。他に、私の知る中では、花のみ咲く奇妙な植物にはギンリョウソウ(銀竜草)がある(写真D)。



平地の林では5-6月に暗がりの枯葉の中にひっそりと咲く。高さが5-10cm程度の白く透明感がある植物である。樹木の根に寄生する植物であり、葉緑体はない。上部の花の中に鈍い青色の顔が見える。群生する姿は、小さき一つ目の西洋ユウレイが集団で静かに整列しているようである。
ヒガンバナの葉はスイセンに似ると記したが、スイセンはヒガンバナ科であり、近縁である。ヒガンバナに最も近いのは盆の時期に咲くキツネノカミソリであろう。この群の植物はどの部位も毒がある。ヒガンバナの属名はリコリス( Lycoris )であり、主要な保有毒はリコリン(lycorine: アルカロイドの一種)である。誤って食べると、嘔吐・下痢を起こす。重症では麻痺を起こして死亡することもあるとされている。通常の加熱で失活しないが、水様性である。元来、ヒガンバナは中国原産である。江戸時代より前、日本に入り、人の手によって水田の畔や土手に植えられて、広がっていったと伝えられている。毒を含むため、植えられた近くをミミズやモグラなどが避けるので崩れない、との説もある。畔・土手に一面に植えられているのは珍しいので、この説は少々危うい。ただ、江戸時代には飢饉の時の救飢植物として役立ったことは本当の話と聞いている。鱗茎(球根のようなもの)にも毒はあるが、水様性のため、砕いて水に晒すと毒が流れて、デンプンとして食用できると聞いた。
 なお、リコリスという菓子が欧州にある。日本語のカタカナではリコリスであるが、ヒガンバナは「Lycoris」であり、菓子のリコリスは「Licorice 」である。「Licorice 」はスペインカンゾウ(甘草)(マメ科)の学名(属名)であり、この植物の抽出物にはグリチルリチン酸という甘味成分を含んでいる。この抽出物を含む菓子をまとめて「Licorice 」(リコリス)と呼ぶようである。国により呼び名は違うが、リコリスと言うと誰でも通じる。欧州の学会に出席した時の懇親会で配られていたので、食べたことがある。グミのようなものであった。甘いようではあったが、薬臭い。欧州人は食べていたが、まずい。不可思議な食べ物であるリコリス菓子にこだわるのは、甘味成分であるグリチルリチン酸が薬として使用されているからである。かなり前から肝臓障害・アレルギーの薬として、化粧品の保湿成分として、使用されてきた。大きな効果は認められていないが、現在でも使用されている。ただし、過料では副作用はある。



 最後に、写真Eを見て欲しい。穴あき桜葉である。花回廊ゴルフコースには河津桜が並木として植えられている。この桜の花期はソメイヨシノより早い2月であり、花色は濃い桃色である。花回廊の木はまだ若いが花は十分に楽しめる。写真@の背景にヒガンバナの奥に並んでいるのがそれである。ヒガンバナを見ながら歩いている時に、ふと気が付いた。数本の桜の葉が穴あきである。ところによっては、写真のように、葉脈をのこして葉肉がなく、葉脈標本に近い。葉は枝にしっかり付いており、落葉する様子はない。曇天をバックに写真を撮った。虫に食べられたかと思ったが、葉外周に虫食いの跡はほとんどない。葉肉を食べて葉脈を残すハムシなどの害虫はいるが、その場合は、食べられた葉肉の部分に膜様のものが残ると思う。確実ではないが、穿孔性褐班病(カッパン病)と思う。原因はカビである。桜ではPseudocercospora 属が多いとされている。葉にカビが付き、増殖すると、葉肉部分の水分循環が止まり、黄色となり、最後は穴ができると言う。多くの桜で少しは見られるとのことである。ここまで穴あきで、尚且つ枝にしっかり付いているにはめずらしいと思う。美しいのではないが、印象的な画である。夏の盛りが過ぎ、秋が来て桜葉が散っていくまでの一時の景である。ヒガンバナの赤を観て、桜葉の穴あきに気付いて、季節の動いて行くのを感じた。

written by principal [この記事のURL]

2016年9月15日(木)

小豆島の夏(生き物)

今年の夏に小豆島に家族旅行をした。大変暑い日であったが、久しぶりに海の生き物や雛ツバメを見たので、ブログに書きたい。

 岡山からフェリーに乗って小豆島の土庄港に着いた。フェリーから小豆島を見ると、大きな島であり、上には大きな入道雲がある(写真@)。


美しい瀬戸内の夏の風景である。ただし、暑い。島で通り雨に遭うことを危惧したが、旅行中には雨は降らなかった。ただし、暑いままである。
 島で、昼食を摂った後に、近くにエンジェルロードがあると聞く。満潮では島であるが、干潮には道ができて小豆島と繋がると言う。恋人が渡ると結ばれる?とかで、人気と言う。恋人云々はどうでも良いが、干潮まではまだ時間があるものの、暑いのを覚悟で訪ねることとなった。行くと、すでに道ができていた(写真A)。


かなりの人がぞろぞろと歩いていた。歩いて小島近くの潮だまりを覗くと、小さな、1cm程度の貝が多数こそこそと動いている。小さなヤドカリである(写真BC)。


また、カニも数種類が数多くいる。写真Dのカニは比較的に大きく、甲羅は3cm程度であった。孫はこれらを見たり、つっついたりで、楽しく遊んでいた。

 暑いので、ぼーっとしながらぶらぶらしていたら、波打ち際を浮いて動く、黒いものがいる。5cm程度であり、長方形のスポンジをクネッと中程で折り重ね、すぐに反対に折るような動きを繰り返す。結構、早く動くが、動きの割に進まない。近づいてみると、ウミウシである。いや、ウミウシと思う。写真EFのように、透明な体に黒と黄色の紋様があり、結構美しい。


写真Eに写っているが、2次鰓と思われる突起があるのでウミウシであろう。捕まえて手に乗せると丸くなった(写真G)。


ブヨブヨであるが、触ると少し抵抗を感じる固さがあった。海に放すと、また動き出した。不思議に、海底に向かおうとせず、クネクネと漂っていて、不思議であった。じっと見ても、紋様以外透明に近い。どこに動くための筋肉があるのか分からなかった。少しネットで調べてみると、最も似ていたのはヒカリウミウシである。刺激すると光ると記載してあったが、つついても光った感じはなかった。もっとも真昼では少々の光は感じられないであろうが。

ウミウシは貝殻を失った貝類である。自分の子供の頃や息子たちが小さい頃に海水浴に行き、岩場の海底でたまに見ることがあった。久しぶりに見たのである。泳ぐとは聞いていたが、泳いでいる(漂っている?)のを見たのは初めてである。
 ウミウシを海に戻してから、浅瀬でうろうろしていると、「細長い少し動くものがいたので、採ってみたら、タツノオトシゴだった。」と言って息子が持ってきたのが、写真HIである。



タツノオトシゴである。自分の子供時代に渋川海水浴場で見つけて以来である。体長は6cm程度であり、掌の海水中で少し動いている。見た目は固そうであるが、少しつつくとさほど固くはなさそうである。動きも弱く元気とは思えなかったので、強く触るのは止めておいた。写真Iでは背びれが写っている。写真を撮った後に海に戻した。タツノオトシゴはトゲウオの類でヨウジウオに近いと記載されている。
 久しぶりに、ウミウシやタツノオトシゴが自然の海で観察出来て幸せであった。暑くても、こういうものを見るとシャキッとするのが自らも不思議である。孫も楽しんでいたが、一番喜んだのは私である。

 その後、ホテルに入り、息子夫婦・孫はホテルのプールで楽しんだ。私は妻と孫の写真を撮ったり、陰で休んだりと、時間を過ごしていた。その時、プール周辺で飛び交うツバメが多いことに気づいた。プール周辺の建物壁をみると、ツバメの巣が多い。ホテルへの出入り口の真上にも巣がある。近寄ってみると、雛数羽がピーピー鳴いている。学校の周辺でも私の住居周辺でも飛び交うツバメは見るが、巣を真近でじっと見たことは、近年はなかった。暇なこともあり、モワーと暑い中を、じっと見たのである。人なれしているのか、雛は泣き続けるし、親も私の頭スレスレを飛んで、平気で餌を与えに飛び交う。見ているうちに気づいた。親が餌を与えた直後は、雛は鳴き止んで口を閉じる。すると口は白色の横一文字である(写真J)。


しばらくすると、雛は鳴きだし、突然口を大きく開けて、体を震わせる。親が近づくのを察知するのであろう。雛が口を開けると、口内の明るい黄色が目に飛び込む。巣は壁の庇下にあり、薄暗い。しかし、その場所でも明るい黄色が浮き立つように見える。印象的でオッと思った。ネットで調べると、この黄色が親の雛への餌やりを刺激しているそうである。雛が大きくなるとしだいに口内の黄色は薄くなって、巣立ちを向かえると記述してあった。なるほどである。子供の頃は、家の周りはツバメだらけで、玄関上の巣から糞が落ちるのに困った記憶がある。ツバメが巣を作る家は栄えるとかで、親は巣を壊そうとはしなかった。毎年ではなかったが、夏にはしょっちゅう雛を見ていたのであるが、口内の黄色に気づいた記憶はない。見えていても気が付かないものは認識されない。見えないと同じである。「視れども見えず」とはこのことである。
 親は餌を与えにしょっちゅう巣に帰ってくる。巣に帰ってきて、餌を与えるのは一瞬である。しばらく粘ったが、あまりに素早くて餌やりのピントのあった写真はとれなかった。カメラもボロである。ただ、数羽の雛に、餌は均等にはいきわたっていないように見えたのだが。雛の大きさは皆同じようである。最終的には辻褄はあうのであろうか。
 
 最後に、写真Lは小豆島で見た夕日である。夕暮れとなり、暑さが和らいできたので、夕日をただ眺めた。海に島々の影が重なり、水平線は見えない。海は凪で、夕日の照り返しが小刻みに動くのみである。かぜは優しく吹いているが、雲はほとんど動かない。止まった風景の中を夕日だけが妙に早く沈んでいく。風景の色合いだけが変わっていく。赤いきらめきがその勢を後退させ、色合いのない闇が周囲から沈む太陽の一点に向かって攻め込んでいく。瀬戸内の懐かしい、夕景色であった。


 岡山から小豆島へのフェリーでも晴天で凪いだ瀬戸内海を見た。波は穏やかで、規則的なゆったりとした海面の上下動を感じる。うねりはない。日の反射のきらめきもリズムはゆっくりであった。
 私は、岡山で40年以上を過ごし、その後に昨年まで栃木に18年間暮らしてきた。栃木は海がないので、海を見たくなると茨城や千葉の太平洋岸に行く。海を見ると心が休まる。ただし、外海は激しい。風のない晴れた日に太平洋を遠望すると、海はキラキラとざわめいて美しく静かではある。しかし、砂浜に近づくと、波頭が白く泡立った波が打ち寄せている。波が寄せてくだけて引く音が繰り返される。沖を見ると、大きなうねりが見える。じっと見ると、瀬戸内海で育った身には、少し恐ろしい。広がりと力強さを感じて、心が休まるのではあるが。また、水平線が邪魔物なく見通せるのは楽しいのではあるが。

written by principal [この記事のURL]

<< 前のページ

Copyright© Tamano Institute of Health and Human Services. All Rights Reserved.

MySketch 2.7.4 written by 夕雨