tamasen 校長ブログ

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2018年4月20日(金)

卒業と入学

今は4月中旬。

新入生の行事が一通り終わり、ほっとしているところである。
我々教員の年明けは、卒業学年の学生を国家試験への最後の勉学に集中させるために叱咤激励することに始まる。国家試験の受験を済ませると一息吐く。
そして、国家試験の合否発表の前、3月10日に卒業式を行い、4月4日に入学式を行う。毎年のことではあるが、感慨深い時節である。


まず、卒業式。
タマセンに来て驚いたのは、校長は卒業式・入学式にモーニングを着用することである。実に窮屈である。校長就任以前にモーニングを着用したのは、息子の結婚式であり、その時も窮屈と思った。
それはともかく、卒業式は整然と厳粛に執り行われる。演台の前に卒業生、後方に在学生(卒業前学年)、その後方に保護者方、そして左右に学園関係者・来賓の方々が整列する配置となっている。卒業式の写真を示す(@A)。@は私が式辞を述べているところであり、Aは式開始直前のものである。後方から写すと来賓方や在校生はスーツ姿であり、全体にモノトーンに見える。ただし、卒業生の女性群は華やかである。ほとんど全員が袴セット(小振袖・袴)である。





写真Bは卒業生が代表挨拶時に在校生・保護者に向かって立っている場面であり、写真Cは集合写真撮影時のものである。一方で、卒業生男性陣はスーツ姿でおおむねモノトーンである。男女で色彩は異なるが、卒業生、皆、良い顔をしている。決して平坦ではなかったであろう4年間(介護は2年間)の学業・実習を乗り越え、ここまで到達したのである。前を向き、先を見つめている。毅然としているが、穏やかで笑みのある表情である。





卒業式の夕刻にはホテルで謝恩会が開かれる。女性陣はドレスに着かえる。男性陣はスーツであるが、ネクタイの色を派手にする、蝶ネクタイにするなど、少しきどる。その場の写真がないので、集合写真の一部拡大を載せる。写真Dは保健看護学科であり、写真Eは理学・作業療法学科である。謝恩会では、学生は楽しんでいるものの、一定の礼儀をわきまえており、好ましい。





この卒業式・謝恩会の一日は、学生や保護者のみならず、教職員にとっても楽しい日である。卒業まで、素直に進級できる学生ばかりでなく、𠮟咤激励などが必要な学生もいる。卒業生は、卒業に辿り着いたのである。あとは、社会での新たな門出を祝うばかり。直接に指導してきた教員には特別な日である。この一日を通して、いい意味で、「少し弾けてこそ本来に戻れる」と思う。


卒業式を終え4月に月が改まると、入学式である。入学式も、もちろん、整然と厳粛に執り行われる。校長はモーニング着用である。
入学生は皆スーツ姿である。教職員や来賓は当然ながら礼服かスーツであり、全体に全くのモノトーン。写真Fは入学生代表が挨拶を述べているところであり、写真Gは入学生代表挨拶時に起立している学生である。





緊張しており、不安そうな表情も見受けられる。入学式を済ますと、新入生には学校説明などのプログラムが数日間組まれている。プログラムの最後は新入生研修会である。本年の新入生研修会は4月14日に玉野スポーツセンターで行われた。広く、野外活動に便利である。今年は、桜はほぼ散っていたが、玉野特有の岩山の肌には紫を帯びた赤色の山ツツジが点々と映え、すがすがしい(写真H)。




研修会は一日コースである。各学科の新入生がバラバラの組み合わせでチームを作り、教職員も混じる。私のチームは保健看護2名、作業療法1名、介護療法1名、教員2名の計6名である。午前中は各チームで飯盒炊事・カレー作りである(写真I)。
木陰の場所での食事場面が写真Jであり、年寄り男性で比較すれば太っていないのが私(笑)。





午後からは、体育館でチーム対抗のゲームであった。この時に、新入生たちに「本校での目標は?」と尋ねると、「資格を取ること」と言う。本校は医療系専門学校であり、すべての学科で国家試験を受ける。前述した卒業式(国家試験合格)が基本的な目標である。新入生は、卒業生と比べると、むろん若い。キャピキャピである。少々幼いが、当然である。皆、気性は良く、楽しい。少し前の卒業式での卒業生の学識と立ち振る舞いに、やがては到達することが必須である。努力し素直に育って欲しいと思うと共に、責任を感じる。それはそれで楽しい春の一日である。


卒業と入学は毎年繰り返される。当然である。卒業・入学の学生は年々異なる。先生方も年々に少しずつ変わっていく。先生方は一様に年齢を重ね、時に入れ替わる。私は校長職4年目である。

劉廷芝の高名な漢詩「代悲白頭翁」の中に「年年歳歳、花相似たり」、「歳歳年年、人同じからず」との有名な句がある。毎年、樹(桃李)は同じように花を咲かせるが、それを見る人は毎年に異なるとの意味とされる。その通りである。ただ、花は同じとは言っていない。同じ漢詩の中に「更に聞く 桑田の変じて海と成るを」との句もある。恐らくは、すべてのものは移り変わるがその時間軸は異なるとの認識であろう。毎年に行事は繰り返されるが、立ち会う人の様態によって、時間の流れは異なる。学生と教師もそうである。ただ、違う時間軸が交差し、同じ時を過ごす時には、そこに立ち会う人すべてが納得できるように各が努力をすべきであろう。学生が学業に努力し、教師が教授・対応に努力し、最後に「よき旅路を」と送り出す。後年に、良き時を過ごせたと思えたなら、それが最良であろう。

季節の移り変わる春の感慨。

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2018年1月19日(金)

カワセミと青い鳥

 2018年となった。新年である。毎年、新年は来る。齢を重ねても、時を早いとか遅いとかと感ずることはないが、新年になる度に、一息嘆息する。年末は何かと気忙しいが、新年には少しく嘆息する余裕がある。新年は、冬である。硝子窓を閉じても、周辺の木立から野鳥の声が様々に聞こえる。好ましく、余裕を深感する。

 冬は葉を落とす広葉樹が多く、野鳥を観察しやすい。新年に、後楽園を散策した。園内で多くの野鳥を見て、このブログに冬鳥のことを書こうと、ふと思った。私は野鳥の写真を撮るのを趣味としている。ただ、熱心ではなく、計画性もないため、散策時に軽量なデジカメを持ち歩いて、撮影するのみではあるが。

 後楽園を出ようとする手前に、ほの暗い植え込みに向けて、腰を落として、立派な一眼レフカメラを向けている人がいた。何を撮っているのかと、私も少し腰を落とした。植え込みの向こうの明るい小水路の枝上にカワセミがいたのである。華麗な鳥である。通路から距離があるためか、こちらを気にせず、何度も水面に飛び込んでいた。10回以上飛び込んで、1度は小魚を得た。何枚かの写真を撮った。デジカメの能力不足と距離のため、少々ピンボケであるが、写真を示す(@)。百間川や後楽園近くでは生息していると聞いてはいたが、岡山でカワセミを見たのは20年ぶりであろうか。栃木では小さい池でも、小魚がいれば、棲みついており、見ることは多い。撮影した写真もあるので、今回はカワセミを中心に記載する。




  カワセミはまっすぐ飛ぶ。
  陽光下では、鮮明な青と橙色の一線を煌めかせて、
  必死でまっすぐ飛ぶ。

 晴れの日に、池・沼の周囲を散策していると、突然にカワセミが近くから飛び出し、対岸に向かって、一目散に逃げ去る時には、上記の感覚が強い。カワセミの青金属光沢は羽の色ではなく、光の反射で見える構造色と言う。確かに、光の具合で、大きく色合いが変わる。最も華麗であるのは、水面から飛び上がってくる瞬間であろう。その瞬間に、水面に青と橙色の金属色が発現し、瞬動し、水滴とともに拡散する。私のデジカメではその瞬間は写真にはならない。写真を撮影している常連に聞くと、三脚固定一眼レフカメラで、1/2000秒より短いシャッタースピードが必要と言う。それでもピントが合っている写真を得るのはなかなか困難と聞いた。日本の野鳥では最も華麗であり、写真撮影は人気である。一般に、野鳥を観察するのに必要なものは場所と粘りと運であり、写真を撮るのはさらに器材と技量がいる。ただし、カワセミは撮影しやすい。餌を採る場所がほぼ決まっており、そこで粘るとかなりの確率で撮影できる。上記したように、動きがあり、ピントが合った写真を撮るのは大変であるが。

 さて、カワセミを説明しよう。写真AB(同じ鳥:メス)を示す(栃木で撮影)。ブッポウソウ目、カワセミ科で全長は約17cm程度である。スズメより、少し大きく感じる。色彩では、写真のごとく、羽面や頭部は白点を散らした青金属色である。ただし、背面中央部には青白く反射する帯がある。胸と頬は鮮やかな橙色であり、首前と肩部は白い。くちばしは長く、先は鋭い。眼からくちばしに向かって白斑・橙斑が配置されている。眼は大きく、多少飛び出しているようであり、常に水面を凝視している。眼から白斑・橙斑を経て、くちばしに流れる全体印象が、視線の水面への方向感・凝視感を強めている。尾は短く、足は赤い。鳴き声として、私はカワセミのさえずりを聞いたことはない。ただ、飛び去る時に、「チー」と鋭く鳴くのを聞く。なお、オス・メスとも色彩は変わらない。ただし、くちばしが上下とも黒いのがオスであり、メスは下くちばしが赤い。




 カワセミは上記の色彩から翡翠とも書かれ、生息場所から川蝉とも書かれる。留鳥であり、年中見られる。特定の池・沼につがいで棲みついていることが多い。つがいの写真がDである。右側がオスである。いつもは水面を凝視しているカワセミがこの時はメスを見ていた。カワセミにしてはやさしい視線である。この写真を撮った直後に交尾を行った。カワセミは年に数回、子育てをする。私が得たカワセミの写真で、最も気に入っているものを示す(C:オス)。精悍な顔つきであるが、頭部や羽が全体に黒ずんでおり、おそらくは幼鳥と思われる。





 飛翔は前記したように基本的にはまっすぐ水平である。飛ぶ方向を変えることはあっても、常に一生懸命飛んでいる。ただ、ホバリングすることはある。かなりの上空(5m程度?)でホバリングして水面に飛び込むのを見たことがある。餌はもちろん真水中の生物である。小魚が中心である。その他に小さなザリガニ、おたまじゃくしを食べるのを見たことがある。水に飛び込んで餌を得る確率はさほど高くない。良い時で3-4回に1回程度であろう。

 晴れて、散策に行き、カワセミを見た日は豊かな日である。新年の正月にカワセミと会い、本年の運を感じた。本校の卒業予定学生は、勉学に必死である。国家試験の合格は本人の実力であるが、それに加えて運を呼んでくれると感じた。

 追記として、青い鳥のことを記述する。青い鳥は幸福を呼ぶとして、人気は高い。カワセミは青金属色の輝きであるが、前述したように、構造色であり青の色素ではない。光反射で青く見えるだけと言う。日本の三大青い鳥「瑠璃三鳥」はオオルリ、コルリ、ルリビタキと記載されている。

 オオルリはヒタキ科で、大きさは16cm程度でカワセミと同じ程度である。頭・背・羽は青く、胸は白い。日本には夏鳥として飛来し、繁殖する。私は栃木で数度見たが、明瞭な写真は取れなかった。少し細身に感じられた。青は群青色に近く、林の中の暗がりでは、青色は目立たない。陽光を受けると、コントラストのはっきりした青に輝く。鳴き声が良いことでも有名である。高く済んだ美しい声でゆっくりとピールーリーと鳴く。ハイキング中に周りの人に「これがオオルリのさえずり」と教えてもらった。

 コルリはツグミ科でオオルリより少し小型の14cm程度と言う。日本には夏鳥として飛来し、繁殖する。ただし、中部以北と記載されている。残念ながら、見たことはない。写真をみるとオオルリに似る。

 ルリビタキはヒタキ科で15cm程度である。日本では、夏季に中部以北の山で繁殖し、冬になると中部以南に移動するか、平地に下りてくる。冬は広葉樹の葉が落ちるので、公園などで見つけやすい。何度か見た。写真を示す(EF)。頭や羽は青い。ただし、オスのみが青く、それも2年以上の成鳥が青いと言う。胸は白く、体横は黄色を帯びている。青色はオオルリほどコントラストが強くなく、空色に傾いているように感じられる。横腹の黄色が軽い青を柔らかく強調している。この写真を撮影した時には冬であった。見通しの良い所で、小域内をヒラリ、ヒョイと飛び回りながら、時折小枝で休憩していた。木漏れ日が当たり、散乱しない柔らかな青が脳裏に重なっていく。静謐な時間である。


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2017年9月8日(金)

海外旅行と感染(輸入感染症)[高熱]

 この稿を記述している9月初めには、少しく暑さが和らいできた。ホッとしつつ、全身のだるさを感じている。夏バテである。本年も岡山は暑かったのである。
 最近、海外旅行での感染について話をしたり、問い合わせを受けたりした。夏休みには海外旅行での感染(輸入感染)が多い。少し時期遅れの感はあるが、輸入感染は夏のみではなく一年中起こるので、いくつかの代表的なものを概述することとした。
 すべては書けないので、高熱を取り上げる。インフルエンザも高熱が出るが、呼吸器症状を伴う。ここでは高熱を主症状とする疾患の代表を記載する。

 海外旅行、特に熱帯・亜熱帯地方、から帰って高熱が出る感染症がいくつかある。最も多いのはデング熱(Dengue fever)である。デング熱は東南アジアを主として世界中の熱帯・亜熱帯地方で流行している。日本での輸入感染例は確定したもので年間に200例以上であり、2016年は350例近くであった。感染例は多いのである。夏季に多いものの冬季にもかなり発生例がある。
原因はデングウイルスであり、これを保有する蚊に刺されて感染する。おおむね、刺咬後3−7日で発症する。突然の発熱、通常は高熱、で始まる。関節痛が強いのが特徴である。ある患者さんに聞くと、「骨の髄が痛い。背骨が痛い。動くと余計痛いが、じっとしていられない。」と言った。もちろん、痛みの程度や感じ方は様々である。デング熱の語源はダンディを意味するスペイン語のデングエロからとされている。日本のテングとは関係ない。患者は全身が痛いために背骨をまっすぐにしてゆっくり歩くので、ダンディに見えたとの事である。発熱は数日から1週間で解熱するが、解熱時に発疹がでることが多い。また、血液の血小板が一過性に減少する(皮膚に出血斑・紫斑ができやすくなる)。高熱が主体のため、症状からの診断は困難で、血液からのウイルス遺伝子の検出や抗体価の測定が必要である。通常は重症化が少ない。ただし、デングウイルスには4つの型(血清型)がある。別の型に感染すると(すなわち、2回目の感染)、重症化し、大幅に血小板が減少して、出血傾向が出ることがある。これをデング出血熱と言って、死亡することもある。今のところ日本人での死亡例はない。

 このデング熱を媒介する蚊はネッタイシマカおよびヒトスジシマカである。ネッタイシマカは空港周辺で見つけられることはあるが、日本に棲息はしていない。ヒトスジシマカは日本に棲息する代表的な蚊である。黒っぽく、足が白黒のマダラ模様である。従って、海外で感染したヒトの血をヒトスジシマカが吸血して、別のヒトを吸血すると、デング熱を発症する危険がある。実際に、2014年の夏には東京都心を中心に162名の国内感染患者(海外感染ではない)が出た。かつて、1942年から1945年には西日本で20万人の患者が出ている。今後も、国内発生は十分に考えられる。残念ながら、ワクチン(予防接種)はなく、特効薬もない。
 なお、デング熱と症状がそっくりな疾患にチクングンヤ熱がある。元来はインド洋の諸島地域で流行していたが、現在は世界中の熱帯・亜熱帯地方に広がっている。媒介蚊はデング熱と同じである。デング熱より少ないが、海外で感染した日本人患者は認められる。

 高熱の出る別の海外感染疾患にマラリアがある。熱帯地域に広く分布している。病原体は原虫である。マラリアには5種類あり、熱帯熱・三日熱・四日熱・卵型マラリアと近年にヒト感染が判明したサルマラリアである。原虫が赤血球で発育し、定期的に赤血球を破壊して発熱する。三日熱では48時間毎に、四日熱では72時間毎に発熱する。ただし、熱帯熱マラリアでは周期性は薄い。最も重症であるのは熱帯熱マラリアである(サルマラリアも重症化する)。脳マラリア、肺水腫、出血傾向、腎障害などで死亡する例があり、脳マラリアになると突然死もある。日本での海外感染例は年間50例程度であるが、重症の熱帯熱マラリアが約半数を占める。診断が遅れることが多い。デング熱ではやがて治癒していくが、マラリアでは慢性化・重症化する。マラリアに効く薬はあるが、薬を使用可能な病院は全国でも少ない。できるだけ早く診断して、薬を使用可能な病院に患者を搬送する必要がある。





 ある患者さんの血液像(ギムザ染色をしてある)(写真)を示す。若い女性であり、正月休みにアフリカに行き、サファリで野生動物見学をした。帰国して発熱し、近くの開業医を訪れて、アフリカ旅行の話もしたが、インフルエンザでしょうと言われたとのこと。しばらくして、皮膚に出血斑・紫斑がでて、行動不能となって、救急車で運ばれてきた。熱帯病を疑って、血液の染色標本を作製し、寄生虫学で見てもらったのがこの写真である。私にもマラリアとは分かるが、何マラリアかは判然としない。専門家は即座に熱帯熱マラリアと診断した。このマラリア原虫は赤血球や肝臓に寄生し、様々な形態を持つ。写真では、少し黒っぽく円盤状のものが赤血球である。よく見ると、赤血球の中に紫色のリング状(指輪状)のものが見える。これが赤血球に寄生したマラリア原虫で、形からリングフォームと呼ばれている。このマラリア原虫が成熟して赤血球から出ていくときに、赤血球が壊れて、熱が出る。また、赤血球が壊れると、血液中の血小板がくっついて行く。これが多く起こると、血液中の血小板が消費されて少なり、出血しやすくなる。皮膚に出血斑・紫斑がでる。また、腎臓障害も起こる。こうなると重症である。この患者さんは1か月以上入院した。回復して、我々もホッとしたのである。なお、このような赤血球の破壊(溶血)と引き続く血小板減少は腸管出血性大腸菌(代表O-157)感染でも起きる。細菌の出す毒素が血液に入り、起こる。溶血性尿毒症症候群(HUS)と呼ばれ、やはり重症である。

 マラリアもワクチン(予防接種)はないが、効果のある薬はある。蚊で媒介されるが、デング熱と異なり、ハマダラカ(Anopheles属)が媒介する。現在の日本では、土着の(国内で発生する)マラリアはない。しかし、昔はかなりの患者が発生していた。平清盛が高熱で亡くなったと記録が残っているが、症状からマラリアと想定されている。また、明治から昭和初期にかけて三日熱マラリアが流行した。現在はハマダラカの減少もあり、日本での国内感染発症はない。

 今回記載したデング熱、チクングンヤ熱、マラリアは蚊で媒介される。病原体を保有している(血液中に存在する)ヒト(もしくは保有することのできる動物)を蚊が吸血し、別のヒトを吸血するときに病原体が体内に侵入して感染する。直接に感染することはない(輸血は別)。蚊の媒介する感染症は、他にも、ジカ熱、ウエストナイル熱、フィラリア症、日本脳炎、黄熱がある。熱帯・亜熱帯を中心に、旅行するときには蚊に刺されないように注意が必要である。前述したように、これらの感染は夏ばかりではない。蚊よけの薬剤は必須である。できれば、長袖・長ズボンで皮膚の露出を避ける。長袖・長ズボンでも、首筋・手足は蚊よけ薬を使用することが望ましい。上記の疾患でワクチンがあるのは日本脳炎、黄熱のみである。ただし、ウエストナイル熱は、最初はウガンダで検出された熱帯病であったが、熱帯ではない世界各国で発生している。特に北アメリカでは大規模な流行となっている(現在は少し落ち着いているが)。

 なお、媒介する蚊の種類によって、感染場所・時刻が異なる。デング熱を媒介するネッタイシマカ・ヒトスジシマカはタイヤや空き缶などのたまり水で発生できる。都市部で多く感染が起こる。また、昼でも吸血する。従って、観光旅行で容易に感染し、日本でも2次感染(日本での蚊を介した感染)が起こりやすい。マラリアを媒介するハマダラカは水田や渓流の淀みなどの清い水を好む。また、吸血行動は夜である。したがって、都市部の感染は比較的に少ない。アフリカでの野生動物見学(サファリ)、特にナイトサファリは感染機会が多いであろう。この状況と日本でのハマダラカ減少とを考えるとマラリアの日本での2次感染の可能性は低いと思う。

 皆さんには、東南アジアなどの熱帯・亜熱帯地方を訪れるときには、蚊に注意してほしい。蚊除け(虫よけ)の成分としてはディート(deet)、イカリジン、ピトレイン、トランスフルトリンなど多種がある。ディートが最も有名であるが、幼小児には注意が必要とされる。ついでは、イカリジンでディートより皮膚刺激性が低いとされている。現在、日本ではディートは30%まで、イカリジンは15%まで含有した製品が市販されている。私は、旅行時にはプッシュ式(スプレーではなく)の蚊除け薬の皮膚用と室内噴霧用を携行する。ディートを含有するものを使用している。蚊除け(虫よけ)は日本では季節商品であり、夏季以外では薬店にないことが多い。ただし、インターネットでは手に入る。なお、私は蚊除け(虫よけ)薬剤の専門家ではない。聞きかじりの知識であることをお断りしておく。

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2017年4月28日(金)

ベトナム訪問紀行

 春の大型連休前の4月中旬にベトナムを訪問した。介護福祉士が在留資格となったため、介護福祉士を目指して留学する学生の状況調査に訪れたのである。介護(看護)学校や日本語学校の関係者と話すことに多くの時間を費やし、観光する時間は当然ながら少なかったが、このブログでベトナムでの風物や食について記述する。

 加計学園の関係者と共に、総勢4名で関西国際空港をからホーチミンへ向けて飛び立った。約5時間の空路である。午前に出発し、偶然に窓際の席であったので、夢とうつつを行き来しながら、時折外を見ていた。ふと目に留まったのが島である(写真1)。沖縄西端の小島であろう。見事なサンゴの環礁が見えた。到着直前になると河が見える。おそらくホーチミン市の近郊であろう。大陸の大河らしく、濁った水がゆったりと流れており、流れには停泊もしくは運航している船が多数ある(写真2)。中州の島には田畑が見える。高度が下がると、田畑がくっきりと見えた。様々なものを栽培しているようであり、区画は日本に比べると大きい(写真3)。航空機から動き流れていく風景を見るのは楽しい。旅行の始まりの高揚感を感じる。








 ホーチミンのタン・ソン・ニャット国際空港に到着し、現地の会合を設定し、ガイド・通訳をしてくれるダン氏と合流した。彼はベトナム生まれでベトナム語・日本語・英語がペラペラである。これ以降、ダン氏と加計学園国際局の英語堪能女性が行動を決め、我々は会合で談合は行うものの、食事や行動予定は言われるままであった。完全なお仕着せ旅行である。

 ところで、空港ビルを出るとムッとした暑さである。4月は乾季の終わり頃であり、温度は日中では35℃になるが比較的に湿度は低いと聞いており、実際にそうであった。体感的には湿度は高く感じたものの、暑さはさほどとは思わなかった。しかし、しばらく外気の中で過ごすと、薄い真綿でくるまれたごとく、じっとりと汗がでてくる。すぐにはしんどいとの感覚はないものの、全身を絞められるようなだるさを感じる。

 そこで、思い出したのである。20年ほど昔の7月にタイを訪問した。外はすごく暑かったのである。ただし、ほとんどの時間はホテルでのセミナーをしていたので快適であった。1週間ほど滞在し、英語での討論に苦労したことを思い出す。国の正式なセミナーであったので、スーツ・ネクタイでセミナーを行った。セミナーの休憩日に、セミナー参加者と一緒に、近くのスコータイの遺跡(仏教)を見学した(写真4・5)。すごく暑かったのである。その時も乾季と聞いており、雨は降らなかったが、湿度は高く、蒸し暑かったのである。見ごたえのある遺跡であり、最初はすごく楽しかった。しかし、15分歩くと汗がダラダラであり、動くとフワーと宙に浮く感じがして足がもつれた。タイ人の参加者ですら暑いと言い、木陰で休みながら散策していた。半袖シャツ姿で観光していたのであるが、1時間弱でホテルに逃げ帰ったのである。この時が私の最も暑く苦しい経験である。ただし、気温が高い経験では、中国の新疆ウイグル砂漠やアフリカ・スーダン砂漠での体験がある。気温は40℃を越えても、砂漠は湿度が低く、さほどしんどくはない。もちろん太陽の下にしばらくいるクラクラとはするが、木陰ではさほど暑さを感じない。私は砂漠が好きである。次回のブログでは私の訪れた砂漠の話を書こうと思っている。






 話がそれたのであるが、そのついでに写真を載せる(写真6)。オート三輪車である。今のタイでは見ないそうであるが、20年前には相乗りタクシーとして普通に走っていた。ハンドルは円形ではなく、オートバイ様である。このオート三輪車は私の子供のころには日本でも走っていた。曲がるときの安定が悪く、横倒しになっているのを時折見た。乗せてもらったことがあるが、怖かったことを思い出す。懐かしい。




 さて、話をベトナムに戻そう。多くのベトナム人、日本人(ベトナム在住)と話をした。ベトナム人は親日的であり、丁重で紳士的であった。仕事の話は記述しないが、我々も真摯に対応することが求められると感じている。

 我々が訪れたのはホーチミン(南部:旧サイゴン)とダナン(中部)である。ホーチミン市は大都会である。高層ビルや大通りもあるが、小商店や狭い路地も錯綜している(写真7:ホテルから眺めたホーチミン市)。熱気を感じる街である。例えれば、高度成長期の大阪の雰囲気であろうか。ただし、人はあまり歩いてはいない。ベトナムの人も歩くと暑いのであろう。その代り、バイクがすごい(写真8)。信号で止まった時に良く見ると、立派なバイクである(写真9)。皆ヘルメットをかぶり、ほとんどがマスクをしている。それほど大気汚染がひどいとは思わなかったが、多数のバイクの中だと、排気ガスがひどいのであろうか。このバイク軍団が、走っている車の脇をすり抜け、前に回り込む。平気で信号無視をする。大混戦である。車も小刻みにハンドルを切り、ブレーキを繰り返しながら走る。良く事故が起こらないものである。走っている車も、バイクもキレイなのである。








一方、ダナンは海沿いのリゾート地である。綺麗な砂浜が長く伸び、海水は透明度が高い。砂浜にはヤシの葉で葺かれたパラソルが並ぶ(写真10)。海岸から見ると、多くのビルが建築中であり、ここでも熱気を感じる(写真11)ただし、我々は早朝に海岸を散策したのみである。ダナンの街はホーチミンより静かであった(写真12)。このダナンで半日予定が空いたので、近くの観光地であるホイアンを訪ねた。古い港町であり、川沿いに古い街並みが残っていた(写真13)。家はほとんど土産物屋である。ベトナムの伝統衣装であるアオザイの店も多く見かけた。欧米人を中心に観光客が多いが、花の咲いた樹木が多く、ゆったりとした感じであった(写真15)。写真14では土産物屋の隣で老婆が露天で食べ物を売っていた。ゆったりとした長袖・ズボンスタイルで、頭にはベトナム古来の帽子をかぶっている。木の葉(ラタニアの葉?)で作ったものでノンラーと呼ぶ。観光客も多く買っていた。またホイアンはランタンが有名であり、町の一角では様々な色彩のランタンを売っていた。上品で美しいものもあり、値段は高くなかったが、持ち帰るには少し大きいため、購入は断念した。














 ホイアンとの行き来に、水田が見えた(写真16)。直播であろう。稲が密生して育っていた。後で聞くと年に2−3回収穫できるとのことである。




米は食事で米飯、おかゆ、チャーハンで食べた。小粒の長米であり、日本米より粘りは少なく、チャーハンで食べるのがおいしい。米の話が出たので、ベトナムの食事について記述する。まず、朝食は、ホテルのバイキングである。ホテルは2か所に宿泊したが、双方ともフォーを作ってくれた。少量であり、あっさりして美味しい。私は、朝はフォー、少量チャーハン、少量ハム・チーズ、多量サラダ、最後にフルーツ盛り合わせである。写真17はフォー(牛肉入り)である。写真18は同行者の最初の一皿であり、チャーハンが見える。食事皿のスプーン側にある小角皿に赤小片入りオレンジ色の液体が見える。日本のベトナム料理店で出てくる生春巻きのソースである。日本のものより少しチリ(とうがらし)味が強いが、うす甘く美味しい。どこの店でも、どんな料理でもこのソースが出てくる。美味しく便利なものである。写真19はフルーツであり、この写真にあるドラゴンフルーツとパッションフルーツが特に美味であった。昼は会合の途中で、様々なところで食べる。朝食はホテルで、夕食はレストランであり、基本的に冷房が効いているため、快適である。しかし、昼食は町の食堂であり、おおむね扇風機ていどである。食事は美味しいが、じっとりじわじわと疲れる。ある日の昼食が写真20である。チキンのぶつ切りに見えるが、実態はアヒルである。恐らく蒸し焼きであろう。脂があり、大変おいしい。食べていると、バンバンと叩くような大きな音がする。見ると、店先に丸裸アヒルが吊るされており(写真21)、これをぶつ切りにする音が響いて聞こえる。なるほどと思う。私には食欲をそそる風景である。移動の時に車からみると、同様の店を何度も見た。夕食はレストランである。連れていかれるのみで場所はさっぱり分からないのであるが。夕食ではとりあえずビールである。ビールを注文すると、333ビールが出てくる(写真22)。ベトナム語で、バババとかババとか呼ぶ。あっさりとして美味しい。様々な料理をいただいたが、二つ説明しよう。最も美味と思ったのは、ココナッツスープである(写真23)。ココヤシの未熟果を容器にして、液体胚乳を材料にスープにしてある。固形胚乳も加えてあり、うす甘くさっぱりした味付けで、胃の腑にすんなりと納まる。次は、揚げ物である(写真24)。写真では、良くわからないが、脱皮したてのカニに少し粉をはたいて揚げたものである。ソフトシェルクラブである。殻を含めて丸ごと食べられ、食感もよく、美味しい。その他、エビも、クエも、牛も食べたが、話が長くなるので止める。
















 食の話題の最後にスパイスの話を書く。再度、タイの話をして申し訳ないが、タイ食の多くはチリ(トウガラシ)味が強い。前述したタイのセミナーでは昼食はセミナー参加者と食べる。その頃、私はトウガラシ味が少し強くても、強いなと思いながら平気で食べていた。ある日、参加者が「先生、オイシイ」とサラダを勧めてくれた。赤いものは加えられておらず、軽くドレッシングがかけてある。普通に食べた。食べて、一瞬の間をおいて、口の中が痛くなった。ついで、胃が熱くなって、物がつかえる感じがする。胃腸がストライキを起こしたようで、食事は続行不能であった。勧めてくれた人は、悪気はなく、少しスパイシーで美味しいのにと言い、多量に食べていた。これが、グリーンチリ(アオトウガラシ)であった。結局、胃腸ストライキは1日以上続き、これ以降トウガラシ味に弱くなってしまった。タイの料理では、調理の最後にトウガラシ味を加える。Without chili とかnot hotとわめくと、出汁味のみでおいしく食事ができるので、助かったのである。ベトナムは辛くない(トウガラシ味は加えない)と思っていた。生春巻きのソースは日本より辛かったが、私にも美味しく食せた。すべての料理は美味しかったのである。ただ、日本の漬物小皿と同様に、小皿に赤と緑の小片が入ったものが常に出てくる。トウガラシであろう。同行者は少しずつ食べてみて、オッ辛いとか凄いとか言いながら、話が盛り上がっていた。やはり、緑色のものが凄く辛いとのことである。現地で案内してくれたダン氏に聞くと、多量は食べないが、少しずつ食べる人は多いと言う。私は見るのも嫌であるので、写真も撮らなかった。
 最後に土産物の話を記す。買い物は短時間のみのため、プラバッグなど有名な雑貨類は全く購入しなかった。食べ物のみである。ベトナムを訪れる前に、「最近のベトナムチョコレートは美味い、2種買って来い」と言われた。MarouとPhevaである(写真25)。前者はホーチミンのおしゃれな直営店で購入したが、カカオの濃厚な味がして後口はさっぱりとしている(写真25の大長方形)。東京でも手に入るらしい。後者はホーチミンで昨年完成した高島屋デパートで購入したが、様々な味で楽しめる(写真25の小四角)。胡椒味もあった。次は、コーヒーである。日本では最近ベトナムコーヒーの専門店もできているのは知っていた。ベトナムホテルの朝食で飲むコーヒーは普通に美味しい。私はコーヒーを大量に飲む。面白がって、何種類も購入した(写真26)。全体的に焙煎が強い。ペットボトルに豆をいれたものもあり、香りが良く、普通に美味しい(写真26左)。写真26右は最も高価であったが、まだ飲んでいない(日本円では安いが)。日本でも聞く、ハイランズコーヒーは、写真はないが、焙煎が強くてビターな独特の香りが高く、美味であった。最後に、乾燥ナッツである(写真27)。ベトナムでは様々な乾燥ナッツを売っている。美味しいとのこと。市場にハスの実があった。ハスの実は食べられる?と思ったが、手に乗せると軽く、試食すると美味しい。乾燥し焙って、軽く塩味をつけてあるのであろう。カリッとした食感であっさりしたポテトフライの味がする。スープに入れると、柔らかくなり、イモ味が強くなったが、これも美味である。










 今回はかなりいい加減なベトナム紀行を書いた。お許し願いたい。海外に出ると、非日常の開放感があり、楽しい。今回は、仕事の日常と海外の非日常が混沌としており、蒸し暑さのボディーブローもあったのであるが、楽しめた旅であった。同行の諸氏に感謝したい。

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2017年1月11日(水)

寒さ、低温

 今は、2016年の年末である。この文章をupするのは2017年新年となる。毎年であるが、何かと気忙しい年末・年始である。
 タマセンでは既に講義は終わり、冬休みに入っているが、国家試験を受ける卒業(予定)学生が学生ホールなどで勉学している。例年の風景であるが、緊張した雰囲気を感じる。順調に合格して欲しいと思う。遠い昔であるが、自らの国試の時をかすかに思い出す。

 さて、年末・年始のこの時期は寒い。本当に寒いのは1月であるが、昔経験した寒さを思い出したので、寒い体験を書くこととした。

 岡山は、2年前までの18年間居住していた宇都宮近辺に比べると、格段に温かいと感じる。岡山の夏は暑く、2016年は極度に熱く感じた。秋となり少し落ち着き、冬となり寒くはなったが、夏のインパクトが強かったためか、あまり寒いと感じない。学校のある玉野(宇野港近辺)は岡山より暖かく感じる。

 これに対して、宇都宮(栃木)は寒いのである。12月下旬頃から2月にかけては分厚い長コートを着込んでいる人が多い。岡山ではあまり見ない。私も分厚い長コートを持ってはいるが、昨年岡山で着用したのは数日であった。
宇都宮近辺(自治医科大学)での通勤は徒歩20分程度で、途中に公園がある。関東は土壌の上層が火山灰からできた黒ボク土であり、粒子が細かい。このためか、この公園で冬によく霜柱をみた(写真1)。



岡山でも昔は霜柱を良く見たが、最近はほとんど見ない。足で崩すと少年時代を思い出す。宇都宮近辺の霜柱は長い時には10cm近くであり、数層に分かれている。出来た霜柱が日中に溶けず、夜に次の霜柱が重なって層ができるとネットに記載されていたが、???である。また、雪も何回か降る。ほとんど2月であるが。ぼたん雪が多く、積もってもすぐに溶けることが多い。



写真2は栃木で勤務していた自治医科大学の積雪風景であり、この時も案外にあっさり溶けた。しかし、低温が続くと、もちろん積もったままであり、葉を落とした広葉樹(桜)に雪が付着したまま残っているのは美しい(写真3)。



夜の街灯に照らされると、付着し凍り付いた雪は、輝く白いシダの群落である(写真4)。



これは雪の付着であり、樹氷とは言わないと思う。本物の樹氷、蔵王の樹氷、を見に行ったことがある。ガスが出て、見通しは悪かったが、かろうじて樹氷群を見た。ガスが流されて少し明るくなったときに取ったのが写真5・6である。




写真5での樹氷の大きさは3m程度であり、遠景に樹氷群が見える。大きな樹氷の割れ目から針葉樹の枝が飛び出している。触ったり、叩いたりしたが、たいそう硬い。壊れかけている鉄筋コンクリートの塊のように見えて、おかしい。重装備で観光したのであるが、頬は少し痛くなった。全体は見通せなかったが、壮大で、すがすがしい体験であった。樹氷は雲霧の過冷却水滴がトドマツに凍りつき、これに雪なども付着して大きく固くなったものと言う。−5℃以下で成長すると言う。この時の気温は、雪上車の温度表示で、−6℃であったと記憶している。

 私が経験した最も低温環境はUSA留学時である。私はUSAオハイオ州コロンバスのオハイオ州立大学に留学した。ずいぶん昔である。1年間のみであったのと本人の能力のなさで、英語が上手にはならなかったのが残念である。オハイオは広く平たんな大地である。冬には、常ではないが、厳しい寒さとなることも多い。雪は多くないが、積もるとなかなか溶けない。

 冬になって、秘書の女性陣から寒さ対策の注意を受けた。まず、「厳寒の時には手袋と耳あてをして外出すること」である。耳あてをせずに15分以上外出すると凍傷(しもやけ)になり、真っ赤になって痛くなると言われた。実際に、耳あてを忘れて30分歩いて、耳が腫れて一部が壊疽になって、治癒に数か月かかった友人がいる。

 もう一つは、「車のフロントが凍っても、湯をかけてはいけない」とのことである。湯をかけるとすぐに凍って、どうしようもなくなるとのことであった。プラスチック器具で削り取る。宇都宮では、車のフロントが凍っても、温湯ですぐ溶けるのである。さらに、車のドアも凍結して開かないことも度々であり、「殴る・蹴る」で振動を与えて開ける。この厳冬の温度は−10℃程度である。もっと寒くなることがあり、これを現地では「below 0 (零度以下)」と言う。

USAでの温度はファーレンハイト(華氏, Fahrenheit, ℉)で表示される。華氏0度は、日本で使われているセルシウス(摂氏,Celsius,℃)では、−17.8度にあたる。つまり、−20℃近くである。こうなると、大学は休校となり、職員も出勤しなくてよい。私の場合は、ボスから、研究室に来るなと電話があった。地域行政からも外出を控えるようにと言われる。どうしてもの時には車を使用するが、バッテリーが十分な車のみ動かす。このような低温では、バッテリーが消耗しやすく、エンジンが止まると凍死の危険性は高い。
 この低温で撮影したのが写真7・8である。




 空気中の水蒸気が樹木の枝に氷結したものである。幹には付かず、細い枝の全体に氷が張り付く。雪が付着した枝(宇都宮;写真3)に比べると、全周で白く、細かく、固く感じられる。天候の良い厳寒で風のない日に出来る。青空の下で、線描の白い樹が輝き、陽を反射して細かい輝点が瞬く。静謐で壮絶な美しさがある。写真を撮った時は10分程度の外出であったが、露出していた顔はヒリヒリと痛く、室内にもどるとしばらくは顔全体が赤くなって掻痒感が続いた。

 なお、オハイオの冬は氷点下が続き、雪や凍結が多いため、凍結防止剤・融解剤としてやたらと塩をまく。日本での塩化カルシウムではなく、塩化ナトリウムつまり食塩である。精製度は悪い。当然、洗車をマメにしないと、車はさびやすい。車のバンパー・マフラーや床までが錆びてボロボロになる。

 当時私が乗っていた安中古車(結構でかいポンティアック)でも一度マフラーが運転中に脱落して驚いた。修理工場にガラガラと音を立てながら行くと、すぐに付け替えてくれた。しょっちゅうのことと言う。ある学生のボロ車に乗せてもらうと、足をドア枠に乗せろと言う。敷いてある段ボールをとると、助手席の床はほぼ脱落しており、道路が見えていた。USAに車検制度はない。走れば、どんな車でも走って良い。この状況のため、オハイオを含む東部内陸部の中古車価格は安い。中古車販売会社で、最もボロなものは「run or not」と書いてある。

 調べてみると、オハイオ州コロンバスでの最低気温は−30℃程度である。人が居住する地域ではロシア・オイミヤコンでの−71.2℃が最低記録である。最低温度の世界記録は南極ボストーク基地での−89.2℃と言う。ボストーク基地は極にあって、高度も高く、この程度の気温は何度も観測されると記載されていた。南極の昭和基地でも−40℃以下は珍しくないようである。テレビで基地外作業の様子が放映されることがあるが、ゴーグルは着けているものの、頬などの顔は露出しているようである。凍傷や顔面神経麻痺にならないのか不思議と思う。

 一方、日本では、北海道旭川市での−41.0℃が最低記録とされている。富士山頂では−38℃とのこと。北海道の内陸部はさすがに寒い。旭川動物園のホームページでは昼は−2から−10℃程度のようであるが、12月28日の朝9時で−20℃とある。旭川動物園は人気である。私も冬に一度は訪れたいと思っているが、覚悟と用意が必要であろう。

 実験室では冷凍庫の温度は−20℃である。超低温冷凍庫は−80℃であり、細胞や細菌は特殊な液に浸してこれに凍結保存する。ドライアイス(固体二酸化炭素)は−79℃である(−79℃で昇華し、気体になる)。実験室で利用可能な最低温度は液化窒素の−196℃である。液化窒素が手に触れても、瞬間的に気化するので、ピリッと少し痛みを感じるだけである。ただし、しばらく漬けておくと凍傷・組織壊死になって大変なことになる。

 今回のブログに載せた写真はほとんど白であり、色彩がない。冬の風景は茶褐色と緑、もしくは白である。静かで彩はない。この中で、動くのは鳥である。地味な鳥が多いが、目立って煌めくのはカワセミとオシドリである。カワセミは別稿に譲り、今回は渡り鳥であるオシドリの写真を載せる(写真9)。

 写真は栃木県小山市の池で撮影した。栃木でも、オシドリは少ない。この時も一羽のみであった。カモの群れの中で、ひときわ艶やかである。多くの色彩と緻密な陰影とで一際目立つ。温かな思いがする。ただ、目は少しく寂しそうであるが。
 

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